外国旅行は面白い。見たことない世界が見れる。
知らない所へ行くのは面白い。
知らない人に会うのも、向こうが嫌がってなければ面白い。
ファンタジーやSF、変わった世界を舞台にしたもの、
知られていない業界を舞台にしたもの、
それらの世界を知ることは、面白い。
その面白いと、ストーリーの面白いは、
質の違う「面白い」であることに注意されたい。
ツアーやライドの面白さと、
ストーリーの面白さは違う。
ツアーやライドの、
新しい世界を知る(体験する)面白さは、
ストーリーの面白さとは違う。
ただし、ストーリーが、
ツアーやライドの面白さを、取り込むことがある。
SFやファンタジーの、見たこともない世界観や、
異色ものの面白さは、それだ。
ストーリーというのは、
日常を離れた特別な世界(スペシャルワールド)での冒険と、
その帰還であるから、
そのスペシャルワールドを、
全く新しく構築し、その面白さを味わって貰うことは、
ストーリーがツアーやライドの面白さを、
取り込んでいることになる。
スペシャルワールドは、
実は外国とか見たことのない世界である必要は、
全くない。
主人公の日常世界から離れた、
全く別の世界であれば構わない。
三丁目の人にとっての四丁目でも、定義上はよろしい。
だけど、どうせ行くならば、
見たこともない世界観を経験したい、
という、いわば贅沢なのである。
勿論、金をかければ、
見たこともないスペシャルワールドをつくれる。
ゼログラビティでは、命綱のない宇宙飛行士という、
全く新しいものを見せてくれたし、
CGなどにぶっこんで、凄いものをつくるやり方が大作主義であろう。
(るろうにとかは、そうだったかもね)
コメディなどでは、一発アイデアで、
金をかけなくても面白いスペシャルワールドをつくることが出来る。
たびたび僕が例に出す「愛しのローズマリー」では、
「心の美醜が見た目の美醜に見えてしまう催眠術」
にかかってしまった主人公が、
美人だが心の醜い女には目もくれず、
不細工だが心の美しい女にベタぼれする。
彼の主観的世界と、普通の見た目の世界のギャップが、
この映画の、見たこともないスペシャルワールドである。
これは、主に二幕の面白さについて、
語っていることと同じだ。
映画のストーリーは、
問題を示す一幕と解決を示す三幕によって、
主人公の変化(とテーマ)を示し、
それは、非日常であるスペシャルワールド、二幕の冒険によって、
得られるのであった。
つまり、ツアーやライドの面白さは、
ストーリーの面白さの一部にしかならず、
しかも「本質的な」面白さではないのだ。
ストーリーの面白さは、一幕と三幕にある。
どのような問題を抱えた主人公が、
どのような解決をしたかが、
本質的な面白さなのだ。
そこに感情移入できるか、そのテーマが心を打つか、
が、ストーリーの面白さの本質だ。
ところが、ネタバレになってしまうから、
予告や解説は二幕をやらざるを得ないのである。
一幕と三幕に焦点をあてた、映画解説があってもよいと思うが、
ネタバレするからダメだろうな。
また、二幕のスペシャルワールドは、
単独だけでも面白くなるのが理想だが、
それが、一幕と三幕との対の関係になることが理想だ。
「愛しのローズマリー」では、
主人公の問題とは、「見た目しか愛せない男」なのだ。
それが真逆のスペシャルワールドへ突入するから、
興味深い試練になるのである。
典型的なコメディは、まずこのような面白いスペシャルワールドを考え出し、
その真逆の問題をつくり、
問題→真逆のスペシャルワールド→解決
の構造をつくることで得られる。
(残念ながら、この映画は三幕がイマイチなのだが)
一幕と三幕の関係と、スペシャルワールドの面白さに、
必然的関係があること。
それが、理想の映画の面白さである。
世界観がいい!とか感想を言ってるやつは、
映画の何も見ていない馬鹿か、
見ていたのだが言語化出来ていないか、
分かった上でネタバレを避けるためそのようなコミュニケーションを取るかの、
どれかである。
最近のアホ宣伝部は、マジで一番の人しかいないのではないか、
という気すらしてきた。
2015年03月09日
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