2015年03月10日

ただしい感想のかきかた

感情を言葉で説明するのは難しい。
そんなのが完璧に出来たら苦労しない。

だから映画の感想を言葉で書くのは、
実は難しい。

そういう前提でも、あなたは映画の感想をただしく書けるようになるべきだ。


まず、感情の振れた場面を特定しよう。
色々良かったけど、
一番良かった、という場面を。


そこが最もその映画のアイデンティティーとなる場面だ。

それがラストシーンであるのが理想で、
途中なのは盛り下がったということだ。
(ラストだけ良くて途中だれるのもあるけど)


さて、その最も良かった場面が、
どう良かったのかを、
他人に説明しよう。
感動して泣いた、大爆笑だった、
胸がスカッとした、伏線が効いてた、どんでん返しだった、
人生ってこういうことだなあと思った、
などがポピュラーな書き方だ。

どれにも当てはまらなくても構わない。
あなたなりの言葉で書くとよい。

ぶわーでも、うおおおおでもいい。
ただしそれでは他の人には分からないので、
他にぶわーと思った名作の場面のことを添えてみると良い。
○○のあの場面ぐらいグッと来た、などのように。
それが一つじゃなく、複数あると良い。
それらの共通項で、あなたの受けた感情の振れを、
こちらから推測出来るからだ。

たとえば「いけちゃんとぼく」がただ泣けると言われても、
絵本「かわいそうなゾウ」の泣き方や、
「プロジェクトX」のような男泣きや、
311で亡くなった方を思って泣くこととは、
違う泣き方だと思う。
何にも似ていない泣き方を狙ったのだから、表現しにくいのはとても分かる。

僕はこの泣き方が独特の物語であると思っていて、
それは「成長とは喜びでもあり何かと別れる痛みでもある」
ということと、「それを見守る愛が遍在する」
ということと、どんでん返しの衝撃の、
重ね合わせだと思っている。
勿論これが正解というつもりはなく、違う言葉で捉えてもよい。
たとえば、「マイライフアズアドッグ」や「スタンドバイミー」の、
少年の成長に関する痛みの泣き方や、
吉永小百合に求められている母性的な愛のあり方や、
「ソウ」「シックスセンス」のどんでん返しの衝撃、
がミックスされたもの、
などのように書くことも出来るだろう。

(風魔はなんだろうね。
ラスト、「それが風魔だ!」の、お腹一杯の満足感だろうね)



一番よかった場面を特定すること。
その感情を、うまく言うこと。
出来れば言葉で。無理なら似てるものの列挙で。

それが自分の振れた感情を上手く言えていれば、
それで感想は十分だ。
(あとはトータルで良かったとか良くなかったとかがあれば良い)



ここから先は、プロフェッショナルになる人用の話である。

その良かった場面が、
どんな流れだったかを、分析するのだ。
その前からの流れで、それは良かったからだ。

ロケ地がきれいとか、服がかわいいとか、○○がエロかった、
などのガワではなく、話の良さについて以下では考える。

前のこうこうこういう流れで、
○○をしなければならないときに△△で返した、とか、
○○と思わせといて△△の流れとか、
その前の流れ、前の流れ、とさかのぼっていこう。
そのうち最初まで巻き戻るだろう。

そうしたら、その流れを全部書き出してみる。

最初こうだった、次にこうなって、それからああなって、
で、こういう流れになって、こうなったから、
良かった、と書き下せるはずである。

これが、その映画の面白さの、脚本的面白さである。


(もしそれが良かった何かを取りこぼしているなら、
そこに箇条書きで別に加えてもよい)

このような形で、良かったことを書くとよい。

それは、あなたの脚本についても書くことが出来る筈だ。
他の良かった映画に対して、
遜色があるかどうかを比べるといいだろう。
(良かった映画を、たくさん見よう)


ブログやツイッターに映画の感想を書くのはただの素人だから、
どういう書き方で書いても構わない。
しかしネタバレ前提でのプロの脚本家の感想は、
上のような、流れを把握した上での感想になるべきである。

それが部分的(メインプロットの部分やサブプロット)になるか、
全体が良かったのかは、映画次第であろう。


悪かったことの分析は誰でも出来る。
こうすれば良かったんじゃないか、って思うことも誰でも出来る。
それは客観的だからだ。

それよりも、何がどう良かったかを、きちんと捉えることが重要だ。
それさえ出来れば、
あなたはリライトの際に、それを更に良くしていくことが出来るからだ。

偶然良かったのか、意図的に良く出来たのか、
自分で区別できるようになるからだ。

前より良くなくなったら、
前の何が良かったのかを分析できる。
その分析を生かして、次のリライトのテイクに向かうと良い。

欠点は、良いところを伸ばしていくことでしか解消しない。
無自覚な欠点は良くないが、
自覚的な欠点があったとしても、
それを削れば物語が良くなる、というものではない。

欠点は癌細胞だと思う。
切除しても、治癒力がないとまた出来てしまう。
多少の癌細胞は、治癒力が強ければ治してしまう。
治癒力をつけることのほうが大事だ。

それは、この物語が、どういう良い流れを持っているか、に尽きるのだ。

それを強化していくこと、
一部ではなく最初から最後まで通していい流れにすることが、
結果的に癌細胞を消滅させることになる。



それを編集でやろうと思うのは間違いだ。
編集の武器はハサミとノリ、外科医にとってのメスと縫い糸だ。
癌細胞を切除しか出来ない。
そうではない。
いい流れを把握して、それをもっといい流れにすることが、
ただしいリライトなのだ。


その基礎になるのが、
ただしい感想を書けるかどうなのかなのだ。

芸術とは、混沌の中から、
ある種の秩序を生み出すことである。
その秩序の、良いところを特定していくのである。
posted by おおおかとしひこ at 13:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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