設定倒れが何故面白くないのだろう、
と考えていたら、この結論に行き当たった。
具体的には、ファイブスターストーリーズのことを考えていた。
コーラス王朝とAKDの戦争を軸にしとけばよかったのだ。
3大MHとか運命の3ファティマあたりでやめときゃよかったのだ。
エルガイムの焼き直し(ポセイダル主役バージョン)なのだから、
その軸から離れず、
ブラッドテンプルのテンプル騎士団や、
レッドミラージュのミラージュ騎士団を中心に描けば良かったのだ。
それを物語として上手く書けず、設定だけが増えていく。
典型的な設定倒れである。
設定倒れとは、
面白そうな設定にも関わらず、
物語がそれを十分に生かせないことを言う。
実際には、物語が設定の面白さを凌駕出来ず、
へぼい結末を迎えるか、未完になることが多い。
中学ぐらいまでは、
僕もよくそういうことをやっていた。
すげえSFの設定を考えて、大長編を妄想して、
第一話しか書かないようなこととか。
しかし僕は完結する物語を書くべきだと思い、
設定倒れを避けるため、「設定をわずかに絞る」ことをしたのだ。
足りないぐらいで、あとづけするぐらいの、
膨大な設定資料(ガンダムやイデオンやマクロスなどのそれを持っていた)から、
一行設定ぐらいへの路線変更である。
今はトレーニング期間であるから、
いつか膨大な設定の物語を書くとして、
今は完結する物語を書くための、少ない設定で書く練習、
と割りきっていたのである。
これが効を奏したのか、いつの間にかプロになってて、
そう言えば膨大な設定資料とか、
とんと忘れていたのである。
突然ファイブスターストーリーズの事を思い出して、
サイレンとかブーレイとかバッシュザブラックナイトとか思い出して、
今どうなってるんだっけ、と調べて驚いた。
設定が増えているのだ。
レッドドラゴンとか、魔導大戦とかあたりで大分興味を失った。
AからFテンプルまでを必死で覚えたり、
ナイトオブゴールドとか百式じゃんと言ってた頃から、
随分と離れたように思ったからだ。
さて、完結したら読もうとは思うけど、
これもベルセルク同様完結しないかもなあ。
さて。設定倒れには、原因がある。
設定が多いのである。
「物語が書けないから設定を増やす」のは間違いだ。
映画的物語を書くための設定は、少なくするのがコツだ。
極端に言うと、ふたつあればいい。
二行で構わない。
主人公の動機に関する設定と、
世界に関する設定である。
二行にしよう。
ひとつの設定を何行も書いてはいけない。
二行にしろ。
何故そうかには、根拠がある。
映画は三人称だからである。
あなたは飲み屋でたまたま知り合った人の、
人生相談をされたとしよう。
その人の話の中で覚えられることは何?
その人がどんな人で何に悩んでてて、
その人がどんな人間関係や環境にいるか、
ぐらいの筈だ。
その程度しか、他人のことはまず覚えることが出来ないのである。
特に、ただの暇潰しや、
なるべくこの人と関わらずにいようと思っているときは尚更だ。
他人の人生相談なんてそのレベルしか、
あなたの頭の中には出来上がらない。
三人称の物語とは、その程度だとまず覚悟をすることだ。
その他人がどんなに複雑な過去を持っていようが、
どんなに複雑な世界に生きていようが関係なく、
あなたは初めて会った人を、
二行にまとめられるレベルでしか、
あなたは飲み屋で認識しないはずである。
(その程度に圧縮するから、客観的に見れて、
人生相談を外の目から出来るということもある)
もしその人の人生相談が興味深く、
もう少し事情を詳しく、などになることがあるかも知れない。
その人にファティマがいたり、
ダイバーと騎士の能力を二重に持っていたり、
或いは妖怪退治をしていて遠野の妖怪に妖怪が取りついたり、
学園に忍び込んでいる忍者で、忍者戦に聖剣争奪戦が加わったかも知れない。
そうして、
話がどんどん複雑になってゆくかも知れない。
しかしそれは、その人の話に長いこと付き合えば、
掘ったら出てくるレベルに過ぎない。
長いこと付き合わない場合、最初の二行が、
その人の設定だ。
これを初期設定ということにしよう。
さて、物語とは、
その進行に応じて、初期設定が更新されていくことだ。
初期設定と変わりすぎるのは初期設定の意味がない。
別の話を書いてることになる。
初期設定でおおまかな方向をきめたら、
その枠の中で、次々に初期設定が更新されていく面白さを、
考えるといい。
(だから、Aと思わせておいてBなどのトリックが成立する)
新キャラが出てきても、
初期設定を大きく逸脱するのは良くない。
あくまでも、初期設定を踏まえた面白いキャラでなければならない。
初期設定を更新する面白さになるのが理想だ。
(テコ入れの為の設定変更は、これゆえに失敗しかない。
以前の設定から見てる人には全否定だし、
新規も前の設定を使われてはうっとおしいからだ)
さて、これは物語を見る側から見ている。
書く側から見てみよう。
あなたは初期設定だけを持って物語をはじめることはない。
一通り設定をしてから、書くだろう。
頭だけ決めて見切り発車は、大抵上手くいかないからだ。
だが、その全ての設定を、最初に全部は出さないことだ。
最初に出すべき設定は、
飲み屋での人生相談に必要な二行、
主人公の動機、世界の設定、だけだ。
ターニングポイントなどで焦点が変わったとき、
必要なら設定を追加して、更新する。
これは書き手から見れば、伏せておいた設定を(一部)明らかにすることである。
平たく言えば、書き手は設定を小出しにするのである。
これを引いた目で見てみよう。
観客も、主人公たちも、
既知の設定に、未知の設定が加わっていくのだ。
勿論それは、書き手によって、蛇口の栓をコントロールされているのである。
最初の二行は、映画でいえば冒頭5分だ。
きっかけのターニングポイント(約8分)、
第一ターニングポイント、
ミッドポイントあたりは、
既知の設定に新たな設定が加わり、
設定が更新されるポイントになりやすい。
前半は風呂敷を広げ、後半は畳む、という原則に従えば、
このあとに設定は追加されない。
あるとすると既知の範囲内にあったことのどんでん返しだけだ。
つまりお話とは、認識の拡大していく過程なのだ。
ファイブスターストーリーズが、
いかに凡ミスを犯しているか、これで分かると思う。
物語に対して、5分や二行で設定するべきことや、
各ポイントで更新される設定が、多すぎるのだ。
だから設定は面白いのに本編が詰まらないのである。
まず星団年表がいけない。全てのスタートなんだけどさ。
あれを書くには、三国志レベルを数回こなさなければならない。
それが高々漫画20巻じゃ無理だ。
漫画なら200ごえの分量だと思うよ。
コーラスとAKDの戦争に限って、20巻ぐらいの内容だと思う。
何故こんなことになってしまうのか?
何故設定ばかり増やして、物語が少ないのか?
何故設定倒れは起こるのか?
簡単だ。
物語を書くより、設定のほうが楽だからだ。
物語を書くのは苦しい。
血の滲む思いで全力を出しきっても、尚難しい。
そして時間がかかる。
全力出したままフルマラソン以上をするのだ。
これが苦しいから、ついつい設定を増やす方向に逃げるのだ。
設定なんて、二時間の物語なら、
10分ぐらいの分量だろう。
(あなたははじまって10分設定をし続ける映画に耐えられるか?
否だ。だから数行ずつ小出しにするのだ)
あとの110分は、物語である。
つまり設定倒れとは、あと11倍やらなければならないことから、
逃げ続けた結果なのだ。
出来ない人ほど、裏設定とかつくりたがる。
まず物語をつくれ。
プロットや動機のぶつかり合い(コンフリクト)や、
展開やどんでん返しや、モチーフやテーマを、つくれ。
2015年03月12日
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