2015年03月12日

物語とは、未知が既知になる過程である

設定倒れが何故面白くないのだろう、
と考えていたら、この結論に行き当たった。

具体的には、ファイブスターストーリーズのことを考えていた。


コーラス王朝とAKDの戦争を軸にしとけばよかったのだ。
3大MHとか運命の3ファティマあたりでやめときゃよかったのだ。
エルガイムの焼き直し(ポセイダル主役バージョン)なのだから、
その軸から離れず、
ブラッドテンプルのテンプル騎士団や、
レッドミラージュのミラージュ騎士団を中心に描けば良かったのだ。

それを物語として上手く書けず、設定だけが増えていく。
典型的な設定倒れである。


設定倒れとは、
面白そうな設定にも関わらず、
物語がそれを十分に生かせないことを言う。

実際には、物語が設定の面白さを凌駕出来ず、
へぼい結末を迎えるか、未完になることが多い。


中学ぐらいまでは、
僕もよくそういうことをやっていた。
すげえSFの設定を考えて、大長編を妄想して、
第一話しか書かないようなこととか。

しかし僕は完結する物語を書くべきだと思い、
設定倒れを避けるため、「設定をわずかに絞る」ことをしたのだ。
足りないぐらいで、あとづけするぐらいの、
膨大な設定資料(ガンダムやイデオンやマクロスなどのそれを持っていた)から、
一行設定ぐらいへの路線変更である。


今はトレーニング期間であるから、
いつか膨大な設定の物語を書くとして、
今は完結する物語を書くための、少ない設定で書く練習、
と割りきっていたのである。

これが効を奏したのか、いつの間にかプロになってて、
そう言えば膨大な設定資料とか、
とんと忘れていたのである。

突然ファイブスターストーリーズの事を思い出して、
サイレンとかブーレイとかバッシュザブラックナイトとか思い出して、
今どうなってるんだっけ、と調べて驚いた。

設定が増えているのだ。

レッドドラゴンとか、魔導大戦とかあたりで大分興味を失った。
AからFテンプルまでを必死で覚えたり、
ナイトオブゴールドとか百式じゃんと言ってた頃から、
随分と離れたように思ったからだ。

さて、完結したら読もうとは思うけど、
これもベルセルク同様完結しないかもなあ。



さて。設定倒れには、原因がある。
設定が多いのである。

「物語が書けないから設定を増やす」のは間違いだ。

映画的物語を書くための設定は、少なくするのがコツだ。
極端に言うと、ふたつあればいい。
二行で構わない。

主人公の動機に関する設定と、
世界に関する設定である。


二行にしよう。
ひとつの設定を何行も書いてはいけない。
二行にしろ。



何故そうかには、根拠がある。
映画は三人称だからである。

あなたは飲み屋でたまたま知り合った人の、
人生相談をされたとしよう。
その人の話の中で覚えられることは何?
その人がどんな人で何に悩んでてて、
その人がどんな人間関係や環境にいるか、
ぐらいの筈だ。
その程度しか、他人のことはまず覚えることが出来ないのである。

特に、ただの暇潰しや、
なるべくこの人と関わらずにいようと思っているときは尚更だ。
他人の人生相談なんてそのレベルしか、
あなたの頭の中には出来上がらない。

三人称の物語とは、その程度だとまず覚悟をすることだ。


その他人がどんなに複雑な過去を持っていようが、
どんなに複雑な世界に生きていようが関係なく、
あなたは初めて会った人を、
二行にまとめられるレベルでしか、
あなたは飲み屋で認識しないはずである。
(その程度に圧縮するから、客観的に見れて、
人生相談を外の目から出来るということもある)


もしその人の人生相談が興味深く、
もう少し事情を詳しく、などになることがあるかも知れない。
その人にファティマがいたり、
ダイバーと騎士の能力を二重に持っていたり、
或いは妖怪退治をしていて遠野の妖怪に妖怪が取りついたり、
学園に忍び込んでいる忍者で、忍者戦に聖剣争奪戦が加わったかも知れない。
そうして、
話がどんどん複雑になってゆくかも知れない。

しかしそれは、その人の話に長いこと付き合えば、
掘ったら出てくるレベルに過ぎない。
長いこと付き合わない場合、最初の二行が、
その人の設定だ。

これを初期設定ということにしよう。



さて、物語とは、
その進行に応じて、初期設定が更新されていくことだ。

初期設定と変わりすぎるのは初期設定の意味がない。
別の話を書いてることになる。
初期設定でおおまかな方向をきめたら、
その枠の中で、次々に初期設定が更新されていく面白さを、
考えるといい。
(だから、Aと思わせておいてBなどのトリックが成立する)

新キャラが出てきても、
初期設定を大きく逸脱するのは良くない。
あくまでも、初期設定を踏まえた面白いキャラでなければならない。
初期設定を更新する面白さになるのが理想だ。
(テコ入れの為の設定変更は、これゆえに失敗しかない。
以前の設定から見てる人には全否定だし、
新規も前の設定を使われてはうっとおしいからだ)

さて、これは物語を見る側から見ている。
書く側から見てみよう。


あなたは初期設定だけを持って物語をはじめることはない。
一通り設定をしてから、書くだろう。
頭だけ決めて見切り発車は、大抵上手くいかないからだ。
だが、その全ての設定を、最初に全部は出さないことだ。

最初に出すべき設定は、
飲み屋での人生相談に必要な二行、
主人公の動機、世界の設定、だけだ。
ターニングポイントなどで焦点が変わったとき、
必要なら設定を追加して、更新する。

これは書き手から見れば、伏せておいた設定を(一部)明らかにすることである。
平たく言えば、書き手は設定を小出しにするのである。


これを引いた目で見てみよう。
観客も、主人公たちも、
既知の設定に、未知の設定が加わっていくのだ。

勿論それは、書き手によって、蛇口の栓をコントロールされているのである。



最初の二行は、映画でいえば冒頭5分だ。
きっかけのターニングポイント(約8分)、
第一ターニングポイント、
ミッドポイントあたりは、
既知の設定に新たな設定が加わり、
設定が更新されるポイントになりやすい。

前半は風呂敷を広げ、後半は畳む、という原則に従えば、
このあとに設定は追加されない。
あるとすると既知の範囲内にあったことのどんでん返しだけだ。


つまりお話とは、認識の拡大していく過程なのだ。


ファイブスターストーリーズが、
いかに凡ミスを犯しているか、これで分かると思う。
物語に対して、5分や二行で設定するべきことや、
各ポイントで更新される設定が、多すぎるのだ。
だから設定は面白いのに本編が詰まらないのである。

まず星団年表がいけない。全てのスタートなんだけどさ。
あれを書くには、三国志レベルを数回こなさなければならない。
それが高々漫画20巻じゃ無理だ。
漫画なら200ごえの分量だと思うよ。
コーラスとAKDの戦争に限って、20巻ぐらいの内容だと思う。


何故こんなことになってしまうのか?
何故設定ばかり増やして、物語が少ないのか?
何故設定倒れは起こるのか?

簡単だ。
物語を書くより、設定のほうが楽だからだ。


物語を書くのは苦しい。
血の滲む思いで全力を出しきっても、尚難しい。
そして時間がかかる。
全力出したままフルマラソン以上をするのだ。
これが苦しいから、ついつい設定を増やす方向に逃げるのだ。

設定なんて、二時間の物語なら、
10分ぐらいの分量だろう。
(あなたははじまって10分設定をし続ける映画に耐えられるか?
否だ。だから数行ずつ小出しにするのだ)

あとの110分は、物語である。



つまり設定倒れとは、あと11倍やらなければならないことから、
逃げ続けた結果なのだ。

出来ない人ほど、裏設定とかつくりたがる。
まず物語をつくれ。

プロットや動機のぶつかり合い(コンフリクト)や、
展開やどんでん返しや、モチーフやテーマを、つくれ。
posted by おおおかとしひこ at 12:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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