小さな嘘を重ねる奴は、信用されない。
現実世界でも、物語でもだ。
あれああじゃなかったっけ?
えっとね、あれはそれの特別な場合で、こうなんだ!
へえ(なんか綻びてるな)
小さい嘘を重ねると、こうやって破綻する。
大きな嘘をひとつつくこと。
これはフィクションをつくる上での原則だ。
全ての小さな嘘は、
この大きな嘘から導かれた、その世界では本当のことのようにするとよい。
その小さな嘘をつくのに、
別の大きな嘘を必要とするなら、
それは嘘の重ね塗りになり、
信用を失う。
自作の例を。
「都会では妖怪は絶滅している。田舎の山に妖怪は逃げた。
都会には新たな妖怪『心の闇』が生まれ、天狗がそれを憂慮している」
が、「てんぐ探偵」における、大きな嘘だ。
山の妖怪を天狗が統治している、とか、
天狗には火を使う力があったりねじる力がある、とか、
心の闇はただ斬ってもまた生えてくるので、
完全に外れないと意味がない、
などの小さな嘘は、
上の大きな嘘の世界観を認める限りでは本当のことだろう、
と思わせるようになっている。(新しい嘘ではない)
現実世界でも、
天狗は山の王と言われるし、
天狗は不思議な力があるし、
癌や雑草は中途半端に切っても駄目で根絶やしが必要だ。
そのアナロジーで、新しい嘘の追加には見えない。
大嘘を認めるなら、
それはその世界では本当なのだろう、と思うことが出来る。
細かい設定が時に増えるけど、
それは大きな嘘の中で破綻しない限り、
新設定ではなく、設定に基づいた順当な展開であるのだ。
例えば飛天僧正なる新キャラに、
「半分天狗半分人間」なんていう不思議設定を持ってきても、
現実世界には「修行僧が天狗になった伝説があったり、修験道の神様は天狗だ」
ということがある為に、
大嘘の範囲内にあることになる。
ここに変なものを入れると、大きな嘘がおかしなことになる。
例えば、「ワープ航法による異星人の登場」にしてみよう。
「妖怪/新型妖怪と山/都会」の図式の中に、
急に「地球人/宇宙人」の図式が入ってきて、
最初の大きな嘘は、メタメタになってしまう。
「UFOの目撃」ならどうか。
「実は妖怪の見間違い」ということにすればセーフだろう。
「UFOに拐われ、発信器を埋め込まれた」はどうか。
異星人の存在を認めてしまえばアウトだが、
異星人っぽい妖怪だとすればセーフか。
しかし登場する妖怪は、全て伝統的に存在した妖怪、という縛りにしているため、
新型妖怪は、心の闇に限らなければならない。
(新型妖怪が二種存在するのは、最初の嘘の範囲にはない)
そこで、異星人の夢(幻覚)を見させる、
心の闇「現実逃避」のせいである、
ということにすれば、
最初の大きな嘘の範囲内になるのである。
このように、全てのことは、
最初の大きな嘘の範囲内に想定されなければならない。
もしも「ワープ航法のある異星人の侵略の世界」を、
てんぐ探偵の最初の大きな嘘に含めるならば、
天狗や妖怪は異星人である必要がある。
ねじる力や不思議な力は、
ワープ航法の次元なんとかシステムを使っていることにしなければならない。
勿論それはてんぐ探偵の主なテーマ、
「心の闇は自力で外すことが出来る」と関係がないため、
採用されることはないだろう。
さて、ということは、
最初につくべき大きな嘘は、
テーマを内包していなければならない、ということになる。
テーマそのものではなく、
テーマを言いやすい(最も言いやすい)大きな嘘の世界、
ということだ。
度々例に出す「愛しのローズマリー」では、
「顔でしか女を見てない主人公」と、
「心の美醜が顔の美醜に見えてしまう催眠術」の存在が、
大きな嘘である。
これは、「顔の美醜にとらわれず、心の美醜が大事」というテーマを言いやすい、
世界を作っているのである。
(残念ながら、第三幕でそこまでカタルシスになったわけではないが)
もしてんぐ探偵にワープ航法の大嘘が入っているなら、
「遠くにいくこと」などがテーマに関係してくる筈だ。
(そしてそれは違うだろう)
何のために、最初に大嘘をつくのか。
テーマのためなのだ。
そういう楽しい世界を作り上げて、
妄想して楽しむ為ではないのだ。
銀河単位に行動範囲が広がり、帝国と戦うようなスペースオペラは、
世界観を楽しむ為ではなく、
民族闘争を描くために、
実際のリアル文脈では語弊があったり、
リアリティーにとらわれるから、
いっそ架空の違う世界でやるために、
スペースオペラのジャンルを借りるのだ。
(現代では難しい話を、時代劇の世界に飛ばすことと同じ)
「夢の中に侵入する」なんてSFをやるとしたら、
それは「夢の世界に逃げず、現実と戦う」などがテーマになるだろう。
「人間と見分けのつかないサイボーグ」を描くとしたら、
それは「人間とは何か」というテーマの為にあるのだ。
「超能力や超パワーの発現」があるとしたら、
「俺つえー」を描くためにではなく、
たとえば「異能者への人々の排斥」(デビルマン)を描くためにあるのである。
必ずしも大嘘とテーマとはこのペアでなければならない、
ということはないが、代表的なものを挙げた。
そもそも何のために大嘘をついているのか。
これがあなたの中で確定していない限り、
その大嘘も定まってこないだろう。
多分、面白い嘘を思いついたのが先で、
テーマが定まらないから、
小さい嘘に小さい嘘を重ねて、
表面だけ誤魔化す羽目になるのではないだろうか。
(またまたFSSに戻るけど、ジョーカー星団の大嘘は何のためにあるのだろう。
大元のペンタゴナワールドは何のためにあるのだろう。
そもそものエルガイムのテーマは何だっただろう。
そこがあやふやだから、嘘に嘘を重ね塗りして、
世界を更新することで誤魔化し続けているのではないかなあ。
「国と騎士とMHとファティマ」という大嘘に、
「魔法やドラゴンや時を越えるや異星人」の大嘘が加わり、
更には「詩女やゴティックメード」の大嘘が塗られて。
もし他愛もないおとぎ話だとか遊園地だ、というのなら、
それは物語ではなくワールドと名乗るべきだと思う。
ファイブスター物語、というタイトルに、俺は噛みついているのかも知れない。
まあ大体○○物語と名乗るものがちゃんとしたストーリーであることは稀なのだが)
嘘やフィクションは、とても魅力的である。
しかし物語に限れば、
嘘に嘘を継ぎ接ぎせず、
全てはひとつの大きな嘘の元に秩序立つとよい。
そしてその大きな嘘は、
そもそもテーマの為にあるのが理想だ。
逆に言えば、
その大きな嘘を聞けば、結論が類推できるのが、
物語にとって大事な大嘘なのだ。
(てんぐ探偵の大嘘は、人が心の闇にとらわれないようになれば、
妖怪は山から都会にも戻ってくることを示唆している。
つまり結論は人と妖怪の共存だ。
実際にそのような理想形が描かれるかどうかは、
分からないが)
2015年03月17日
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Google検索から訪問して、記事を読ませていただきました。
わたしは脚本などあまり詳しくないのですが、面白く、とてもためになる記事でした。
またお邪魔させてください。
楽しんでいただいて何よりです。
沢山書いてるので、迷ったらトップ記事にいろいろまとめてあるので、参考にしてください。