という仮説。
もっと正確に言うと、ストーリーそのもので心奪われる瞬間はない。
あるとすると、「場面」に心奪われる。
心奪われると、夢中がやってくる。
そうすると、「わたしは○○に心奪われている」
という自覚の○○は、作品名になり、その場面そのものではなくなる。
(キャストとかCGキャラかも知れない)
しかし我々が作品を書くときは、
心奪う場面を書くのではなく、
事件と解決と感情移入を軸として書く。
結果的にどこかで心奪うのだ。
その温度差について。
心を奪われる場面には、
例えば美少女がスローで振り返るとか、
ヒーローがかっこよく活躍するとか、
悪役がしびれる登場をするとか、
登場場面か活躍場面が多いと思う。
我らが風魔の小次郎の登場シーンはどうだったか。
どこだどこだそいつはァ!
→どこだ ど こ だ ど こ だ (ドップラー効果)
という渾身のギャグだ。
心奪うほどかどうかはおいといて、
少なくとも小次郎の第一印象はここで決まる。
その後色々あって、風魔烈風でかっこよさも見せといての、
合わせ技で、小次郎とはこういう魅力だ、と、
緩やかに心が奪われる仕組みだ。
(本当に小次郎が心を奪うのは10話の告白においてだろう。
そこまでの積み上げがあるからこその仕掛けである)
実際、風魔にハマる瞬間は5話の小龍の弔い合戦だろう。
永遠の刹那がかかるときだ。
あの時のスローの羽の美しさも相まって、
その後の小次郎のリアクションも相まって、
風魔という世界に心奪われる。
それ以前、3話の死鏡剣や4話の白羽陣も、
心奪うアイテムのひとつである。
つまり、心を奪うのは、ストーリーではなく場面だ。
ストーリーは因果関係だが、
場面場面は、心を奪うように書くのが理想なのだ。
ツカミでマックス心を奪うのは、
勿論理想だ。
しかしそれを無理するとあとが続かなくなるので、
序盤、第一ターニングポイントに至るまでに、
心奪われる場面がひとつ以上あることを心がけよう。
実際は、中盤から後半にかけて、
本当に心を奪う場面が増えてくると思う。
テーマに近づいて来るからである。
ということは、前半に心奪う場面をつくるためには、
テーマと関係ない、
心奪う場面が必要だということになる。
それは書き手からすると、本筋と関係ないハッタリだと言うことだ。
ということで、今こんな絵を描いている(まだ完成じゃない)。
これを文章で表現する力を磨くより、
使える才能は何でも使ってしまえ、と割りきって、
好きなように描いてみた。
例の切り絵風のやり方に慣れてきたのもある。
意外とよくて、
心奪うことは、ストーリーだけではないのだなあ、
と改めて思った次第だ。
時にはこういうハッタリも序盤には必要だ。
しかしそれを目指していると、
僕の嫌いな園子温のようなハッタリ人生になってしまう。
きちんと骨を作ってから、
最後にハッタリの皮を被せるのが理想だ。
皮を被せるのが、遅くてすいません。
ところで、心奪われる瞬間には、2種類あることに気づいた。
さらに深くここを次回は掘ってみる。
2015年03月18日
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