2015年03月19日

モブかどうか

モブとは、群衆などを指す言葉で、
背景にうつる、誰でもない通行人レベルのことを指す。
スタジアムの観客や、駅にいる人々など広い場所だけでなく、
クラスの主要キャラ以外のメンバーもモブという。

ドラえもんなら、Aと書いた帽子の奴とデブの、
準レギュラーモブがいるよね。
ガンダムならジョブジョンはモブだろう。

さて本題。
どんなに出演場面が多かったり、台詞があったとしても、
モブと変わらないことがある。


それは、ストーリーにおいて、
重要なターニングポイントに関わっていないときだ。

例えばホラー映画で、
どうしましょうと困ったり、叫ぶだけの役の女は、
どんなに出演時間が長くても、
どんなに台詞があってアップが長くても、
モブである。

言葉の定義ではなく、
モブキャラと変わらないという意味でだ。


例えば風魔では、
殆どの風魔一族は、活躍回以外はモブである。
色々意味ありげな台詞を言ったりしてもだ。
物語の主筋に関わらない限り、
それは主要キャラではない。

あるいは、原作漫画においては、
主人公小次郎は後半モブだ。
活躍場面以外は、何もしていない。


さて、モブでないことに必要なのは?
焦点を変えるターニングポイントで、行動していること。
どんなに解説台詞があったとしても、
行動を起こさない限り、
それはモブでしかない。

モブには感情移入出来ない。
逆に、感情移入するのは、
行動を起こすときである。


もし、どうにもこのキャラが目立たないなあ、
という自覚があるのなら、
台詞を増やしたり登場場面を増やすのは愚策だ。
行動させること。
しかもストーリー進行に関わる行動をさせること。


例えばキン肉マンのジェロニモは、
ただの驚き係であり、
どんなに登場回数が多かったとしてもモブだ。
悪魔将軍の秘密を暴いたり、
ミート君の肉体をゲットしたり、
ストーリー進行がそれで左右され、
焦点が変わる行動をしたときのみ、
モブではなくなる。


脚本のリライトにおいて、
これは意識しているとよい。

何かを削ったことで行動場面がなくなり、
ただ喋るだけのキャラになってしまうことが、
群像劇などにはよくある。
(例えばるろうに剣心で、蒼井優の役は何もしていない)

そのキャラの行動が主筋に影響を与えることが、
主要登場人物でいることだ。

また、ある役者の出番を増やしてくれという要求に対し、
主要な進行に関わらせず、リアクションや説明台詞をいう係にさせれば、
主筋を変えることなくその役者の出番を確保できる、
という裏のテクニックも実戦では役に立つ。

ちなみに風魔の最終回では、霧風、小龍、劉鵬の台詞を書く余裕がなかったため、
無理矢理ラストに台詞を言わせた。
ないよりはあったほうが良かったレベルだけど。
しかしこの三人に、主筋に関わるほどの時間的余裕はなかったのは確かだ。
もうちょっと尺があれば、何か出来たかも。


例えばてんぐ探偵では、
シンイチが何もしなくても、
人々が勝手に解決しそうになることがたまにある。
そこでシンイチの介入がストーリーのターニングポイントになるように、
工夫をすることがある。

第27話妖怪センターでは、「スタッフをやらせてみたら?」と、
シンイチが発言することで、ようやく主筋に関わるようになっている。
これがなければ、シンイチは危うくモブだった。
最初に「脇役は?」というサジェスチョン以外、
ターニングポイントに関わらなくなってしまう。
たとえシンイチ目線で話が進行したり、
妖怪を派手に斬ったり、妖怪の名前を告げたりしてもだ。


モブかどうか。
時々出番ねえなあこいつ、と思ったら、
行動をチェックしてみよう。
posted by おおおかとしひこ at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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