「そもそも広告とは、我が売りたい欲望を晒す、醜いものである。
従って、少なくとも強制的に大衆の御目を汚すからには、
何らかの楽しんでもらう芸をしなければならない。
すなわち、広告は文化であらねばならない」
という意識は、少なくとも80年代には常識だった。
もはやその常識は、どこにもないのだろうか。
伝統的にきちんとした広告をつくっている、
サントリーや資生堂ぐらいしか、それを意識してないのだろうか。
全ての会社の広報部、宣伝部に告ぐ。
不快だ。
紳士たれ。
文化をせよ。
かつて広告は文化だった。しかも最新更新の文化だった。
今はちんこのさらしあいだ。
話を脚本論に戻そう。
どうしてテーマが主張であってはならないか、
テーマを売りたい欲望に置き換えれば明らかだろう。
そして、映画は文化の極みのひとつだ。
2015年03月19日
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