2015年03月19日

酷い広告を見た3

「そもそも広告とは、我が売りたい欲望を晒す、醜いものである。
従って、少なくとも強制的に大衆の御目を汚すからには、
何らかの楽しんでもらう芸をしなければならない。
すなわち、広告は文化であらねばならない」

という意識は、少なくとも80年代には常識だった。
もはやその常識は、どこにもないのだろうか。
伝統的にきちんとした広告をつくっている、
サントリーや資生堂ぐらいしか、それを意識してないのだろうか。

全ての会社の広報部、宣伝部に告ぐ。
不快だ。
紳士たれ。
文化をせよ。

かつて広告は文化だった。しかも最新更新の文化だった。
今はちんこのさらしあいだ。


話を脚本論に戻そう。
どうしてテーマが主張であってはならないか、
テーマを売りたい欲望に置き換えれば明らかだろう。
そして、映画は文化の極みのひとつだ。
posted by おおおかとしひこ at 13:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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