話がややこしくなってきたり、
全体がぼやけてきたり、
何がポイントか分からなくなってきたら、
常にこの問いに戻るとよい。
或いは、そもそもその話は、
最初に思いついたどういうアイデアから発展してきたかを、
思い出すとよい。
最も強いオリジナリティは、
解決の瞬間であるべきだ。
冒頭のツカミでもなく、
展開のお楽しみポイントでもなくだ。
例えば、今執筆中の31話、妖怪リセットを例に。
この話のアイデアの素は、
「リセット症候群」だ。
人間関係をリセットしたがる人の病のようなもの。
大人の話を考え始めた。
例えばすぐにリセットして北の町にいったり、
沖縄にいったりする男の話。
「百万円と苦虫女」はそういう話だったなあ、
と思い出し、劇的な解決法も思いつかなかったので、
子供の話に抽象化できないかと考えた。
「クラス替えの初日、自己紹介で失敗してリセットに取りつかれ、
初日の自己紹介を何バージョンもやり続ける話。
この子は自己紹介に成功するまで初日のループを抜けられない」
というアイデアを思いついた。
プロットバージョンではクラス替えの初日だったが、
執筆バージョンでは「転校生の自己紹介」とした。
(話のなかでは四月ではないので)
これは、問題設定の面白さを、
最初につくったことになる。
「自己紹介を何バージョンもやる」面白さやオリジナリティが、
冒頭の面白さを越えるまで、
自己紹介のパターンを考える必要がある。
(そもそも初日の自己紹介をループする、
という面白さがあるので、多少ぬるくてもセーフだろう)
しかし、ここで問うのだ。
この話の、最も強いオリジナリティは何かと。
ループするのは確かに面白い。
しかし、そこがピークでは駄目だ。
解決の瞬間が、面白さのピークにならなければならないのだ。
僕はプロットを書きながら、
いくつかの面白い解決のバージョンを考える。
自己紹介のループを脱出する、面白い解決について。
そこに強いオリジナリティが出来たな、
と思ったから、プロットを書き終え、
これは面白い話になる、と確信したのである。
実際の執筆時は、
各バージョンの自己紹介を、具体的に詰めていくことになる。
勿論、それは伏線としてのちに生かされるようにだ。
あまり詳しく書くと楽しみを減ずるのでこの程度にしておく。
最も強いオリジナリティは、何か?
それは、名詞でとらえる以上、特定の場面だ。
部分だ。
全体的センスとか、遍在するものではない。
発端か。展開か。結末か。
それが結末になるまで、
あなたは強いオリジナリティを、産み続けなければならない。
勿論それは、プロットを書き上げる前にだ。
リライトについても同じだ。
最も強いオリジナリティが結末にないのなら、
それが出るまで、リライトに手をつけるべきではない。
全ては、そこから導き出されたような話に、
話を整えるべきである。
冒頭のオリジナリティも、
展開のオリジナリティも、
結末のオリジナリティの為にあったのか!
と唸るようになるまで、
お話を練り続けるべきである。
冒頭〈展開〈結末の原則は既に書いたと思う。
さて。
あなたの話の、最も強いオリジナリティは?
一言から数行に纏めてみて?
それが強くてオリジナリティがないなら、
対して面白くないと思うよ?
それに従属する、展開や冒頭の強いオリジナリティは?
それが、予告とか、触りと呼ばれる部分だよ?
「十月十日の進化論」は、
そのような構造になっていないから、
宣伝部が苦労したの?
それとも、そのような構造になってるのに、宣伝部が馬鹿なの?
見てみないと分からないけど。
(だんだん炎上マーケティングになってきたのでこの話おしまい)
2015年03月19日
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