2015年03月19日

最も強いオリジナリティは何か

話がややこしくなってきたり、
全体がぼやけてきたり、
何がポイントか分からなくなってきたら、
常にこの問いに戻るとよい。

或いは、そもそもその話は、
最初に思いついたどういうアイデアから発展してきたかを、
思い出すとよい。


最も強いオリジナリティは、
解決の瞬間であるべきだ。

冒頭のツカミでもなく、
展開のお楽しみポイントでもなくだ。



例えば、今執筆中の31話、妖怪リセットを例に。
この話のアイデアの素は、
「リセット症候群」だ。
人間関係をリセットしたがる人の病のようなもの。

大人の話を考え始めた。
例えばすぐにリセットして北の町にいったり、
沖縄にいったりする男の話。
「百万円と苦虫女」はそういう話だったなあ、
と思い出し、劇的な解決法も思いつかなかったので、
子供の話に抽象化できないかと考えた。

「クラス替えの初日、自己紹介で失敗してリセットに取りつかれ、
初日の自己紹介を何バージョンもやり続ける話。
この子は自己紹介に成功するまで初日のループを抜けられない」
というアイデアを思いついた。

プロットバージョンではクラス替えの初日だったが、
執筆バージョンでは「転校生の自己紹介」とした。
(話のなかでは四月ではないので)

これは、問題設定の面白さを、
最初につくったことになる。
「自己紹介を何バージョンもやる」面白さやオリジナリティが、
冒頭の面白さを越えるまで、
自己紹介のパターンを考える必要がある。
(そもそも初日の自己紹介をループする、
という面白さがあるので、多少ぬるくてもセーフだろう)

しかし、ここで問うのだ。

この話の、最も強いオリジナリティは何かと。

ループするのは確かに面白い。

しかし、そこがピークでは駄目だ。
解決の瞬間が、面白さのピークにならなければならないのだ。

僕はプロットを書きながら、
いくつかの面白い解決のバージョンを考える。
自己紹介のループを脱出する、面白い解決について。

そこに強いオリジナリティが出来たな、
と思ったから、プロットを書き終え、
これは面白い話になる、と確信したのである。


実際の執筆時は、
各バージョンの自己紹介を、具体的に詰めていくことになる。
勿論、それは伏線としてのちに生かされるようにだ。
あまり詳しく書くと楽しみを減ずるのでこの程度にしておく。




最も強いオリジナリティは、何か?

それは、名詞でとらえる以上、特定の場面だ。
部分だ。

全体的センスとか、遍在するものではない。
発端か。展開か。結末か。

それが結末になるまで、
あなたは強いオリジナリティを、産み続けなければならない。
勿論それは、プロットを書き上げる前にだ。


リライトについても同じだ。
最も強いオリジナリティが結末にないのなら、
それが出るまで、リライトに手をつけるべきではない。

全ては、そこから導き出されたような話に、
話を整えるべきである。

冒頭のオリジナリティも、
展開のオリジナリティも、
結末のオリジナリティの為にあったのか!

と唸るようになるまで、
お話を練り続けるべきである。

冒頭〈展開〈結末の原則は既に書いたと思う。



さて。
あなたの話の、最も強いオリジナリティは?

一言から数行に纏めてみて?
それが強くてオリジナリティがないなら、
対して面白くないと思うよ?

それに従属する、展開や冒頭の強いオリジナリティは?
それが、予告とか、触りと呼ばれる部分だよ?


「十月十日の進化論」は、
そのような構造になっていないから、
宣伝部が苦労したの?
それとも、そのような構造になってるのに、宣伝部が馬鹿なの?
見てみないと分からないけど。
(だんだん炎上マーケティングになってきたのでこの話おしまい)
posted by おおおかとしひこ at 13:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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