というスレタイに爆笑した。
これは、タイトルと内容の関係に本質的な話だ。
竹取物語というタイトルからは、
色々な竹を集める物語か、
最後に目的の竹を取る「目的の旅の物語」を想像させる。
ところが実際はそうでない。
竹取りの翁の発見の冒頭と、
貴族の求婚への無茶ぶりと彼らの冒険譚、
月へ帰るクライマックスが主な内容だ。
竹取物語というタイトルから想像することは、
二幕の冒険譚または、
センタークエスチョンとクライマックスについての、
期待だ。
つまり、この物語ならば、
「姫の無茶なお願い」または「月の姫」であるべきなのだ。
(なんで月の姫が竹から生まれたのかは、不明だが。
実際のところは、竹の生える痩せた土地
(竹が生えたらそこは竹しか生えなくなる)の美しい娘がいて、
貴族が求婚したのだが難癖をつけて断り、
天皇系以外の一族、おそらくまつろわぬ民土蜘蛛の一族に嫁いだ、
という話ではないだろうか)
竹取りの翁ありけり、という冒頭文からはじまる物語。
それを取って竹取物語と言ったのかもだ。
今は昔ではじまる物語を、今昔物語と言ったように。
さて、さらにここに奥義が。
冒頭の文がタイトルになるということは、
冒頭で、
二幕の冒険譚に関すること、または、
センタークエスチョンやクライマックスやテーマ、
に関わることが、
書かれているべきなのだ。
竹取りの翁ありけり、が、
二幕の冒険譚(結婚するためには明日までに一千本の竹を用意しなさい、とか)
クライマックス(私はもう一本の竹から生まれた、将来の許嫁を探しているのです、とか)
に関係すれば、
後世の我々が、こんな議論をすることもなかったかも知れない。
さて、さらに奥義を。
「取る」という動詞が入っていることに注意されたい。
「映画とは、一言の動詞で表せる」ということを議論した。
その動詞は、二幕の全体または、センタークエスチョンのための行動を示すのであった。
竹取物語が示す動詞は、それを予感させるのだ。
逆に、物語におけるその動詞をタイトルにつけることは、
とても本質的であることになる。
今とっさに出てこないが、ドラゴンボールなら、
「ドラゴンボール集め」でもいいはずである。ダサいけど。
あ、ドラゴンクエストがあったね。
(ちなみに「てんぐ探偵」でも、「3000歳でも恋をする」ぐらいしか例がなかった。
先の話だが「解散」「遭難」という話があって、
それはクライマックスに関する動詞だった)
的確なタイトルは、物語の予告も含むと思う。
最大のキャッチコピーは、タイトルである、という格言もある。
僕はまだこれだ!という理論をタイトルについては見いだしていない。
本質を示すようなタイトル付けを、心がけよう。
2015年03月20日
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