2015年03月20日

なぜ悪役を演じると楽しいのだろう

大体、悪役はノリノリだ。
正義のヒーローよりもだ。

たとえば余興の宴会で、
「あなたが悪役に扮し、一番可愛いデスクの子をさらい、
セクハラをしようとしたところに正義の部長が現れ、退治される」
という小芝居をやるとする。

あなたは悪役に指名された。

絶対、ノリノリで悪いことをするはずだ。
胸揉みぐらいはどさくさでやるかも知れないし、
罵詈雑言を吐いたり、会社批判を言ったりするだろう。


つまり、人には悪い所があるのである。

だが、普段それを表に出しては社会生活は営めない。


ところが演劇はハレである。
「その役をしてもいい」という言い訳(無礼講)をきっかけに、
むしろその役として、「最も悪いこと」をノリノリで考えるはずだ。
それは、
普段押し込めている悪い部分を、解放することになるからだ。

そうやって、人は自分の悪を浄化する(うんこみたいに勢い良く外に出す)のである。


「悪役を演じる」場合だけではない。
「悪役を見る」行為においてもだ。
人は見ながら、実は心の中で悪役と同一化して、演じることと同じことをしている。

だからいい悪役を見るのは、楽しい。演ずるのと同じぐらい。


悪役を上手く書ける人は、
人間がどのような悪の部分を持っていて、
人間がどのように普段封じ込めているかを、
よく知っている人だ。

今日もどこかで悪役が大活躍し、倒されて、
人々の心が浄化されているはずだ。

そして明日も新たな悪役が現れるだろう。
悪役はなくならない。
我々の心が悪を日々生み続けるから。


だから、悪は、思い切り躍動するのがよい。


(日本の悪は、分かりにくい、静的な悪に変わりつつあると思う。
その直感はてんぐ探偵に活かされている。
てんぐ探偵がほんとうのヒーローものになるのは、
躍動する悪が現れたときだ。おっとネタバレはこのへんにしておこう。
ミッドポイントは後半戦を意識させる。つまりラスボスが…)
posted by おおおかとしひこ at 15:27| Comment(3) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いつもブログで勉強させて頂いております。

物語における悪役について質問です。
悪役がなかなか上手く作れません。

大岡さんはいい悪役を作るときにどういう点に気を付けて作られていますでしょうか?

ガンダムのシャアみたいに大義名分があって人類のためには隕石落とすしかなかったんだ〜という「結局のところいい人」ではなく、
ラピュタのムスカやレイズナーのゴステロみたいに「どうしようもない程の悪い人」を作る際に。です。

観客のヘイトを稼ぎ、弁論できないくらい外道なことをしまくり、登場人物も観客も全員「コイツマジ殺してぇ」と思われるくらいの悪役を。


宜しければ、お答えいただけると嬉しいです。
Posted by KYKY at 2015年08月11日 11:42
KYKY様コメントありがとうございます。

二種類あると思います。
伝統的な悪役か、現代的な悪役かで。

例に上がっているのは伝統的な悪役なので、
従来のものを組み合わせれば出来ます。
水戸黄門の悪代官など、典型的なものを研究すればよいでしょう。

気をつけることは、
「主人公はどうであったかより、何をしたか」
ということです。
悪役も同じ。
見た目やキャラや服装やゲスな言葉遣いではなく、
どういう悪をしたかです。

理由なく人や小動物を殺すとか、部下を見捨てるとか、
権力にはおもねるとか、
作者が憤る悪いことをさせると良いでしょう。

浮気されてばれた時の言い訳とか、
自分にもムカついた体験が沢山あるはずです。
それを創作に活かすとオリジナリティ成分がまぶせます。


第二の現代的な悪役について。
伝統的な悪ではない悪を、悪とするものです。
小保方や佐村河内、エンブレム佐野などは現代的な悪?
いえいえ、嘘つきという点で伝統的な悪です。
ただ現代の衣を被っているだけです。

現代の悪とは、新しい悪です。

自分のことしか考えず、利己的に組織化しない、
という悪は、新しい悪です。これはドラマ風魔の悪役、夜叉のことです。

「上から目線」は現代の病ですが、新しい悪です。
てんぐ探偵第11話はこの悪を倒す話です。

現代の悪は、伝統的な悪ではないぶん、
分かりにくい特徴があります。
実はてんぐ探偵は、現代の悪55を倒す話です。
(伝統的な成分が混じってるのもあるけど)

それは、作者がどういう風に現代を考えているかが、
もろに出るのです。


たとえば、下のやってることを把握せずにすぐ注文を変える上層部は、悪だと思います。
サラリーマンは大抵この悪に触れているからこそ、
「踊る大捜査線」はヒットしたのです。
悪役は、犯人ではなく組織なんですね。


いずれにせよ、
「どうであるかより、何をしたか」が大事です。
児童買春をした先生はその件については悪ですが、
生徒に慕われていることについては悪ではないと思います。
それを混同しがちですけどね。
(その混同を描くのも人間を描くことですが)


コイツマジ殺してえとなる悪役は、
それに値する悪いことをすればいいです。
しかも同情の余地がない、無反省でしょう。
あとはビジュアルをいじればオリジナルになると思います。

マッドマックスは、ちっとも悪役がいなくて、
ただのビジュアルキャラ祭りで失望しましたねえ。
Posted by 大岡俊彦 at 2015年08月11日 12:26
コメント返信いただき誠にありがとうございます。

「どうであるかより、何をしたか」


ふーむ、なるほど…。
ガワ第一で考えていたようです。

ここでもまず動機だとか目的から入るといいのですね。



踊る大捜査線の例えは共感が持てました。

なるほどなるほど。たしかにサラリーマンなら一度は経験するであろう「悪」ですものね。

ちょっと危ない人になってしまいますが、マジでこいつ殺してえと自分自身が思うようなことを書き出してみることにします。

助言頂きまして誠にありがとうございました。
Posted by KYKY at 2015年08月11日 19:35
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