ストーリーが点でなく線である、というのは、
人間のこの性質によるのである。
ひとつの点が面白いとする。
それで終わりだと、人は思っていない。
何故なら人は今、話を聞きに来ているからである。
一発芸を見に来ているつもりなら、
一発で面白かったら、
ああ面白かった、でおしまいだ。
(ツイッターのネタとかは、そういうことだ)
しかし、「お話」を聞きに来ているのなら、
何か一発面白いのなら、
さて次は何が来るのだろう、と心が準備をはじめるものだ。
何故なら、お話は、面白いことの次に面白いことが来るものだからだ。
今後どんな流れになるのだろう、と、
具体の予測を(ほぼ無意識に)することもある。
なのに一発芸で終わってしまうと、
人は失望する。
ペプシ桃太郎の第二弾のガッカリを思いだそう。
あれ?何この期待外れ?と思わなかったか?
これで終わりじゃないよね、もっと面白いラストへ向かっていくよね?
と思ったはずだ。
それは、無意識に次の流れを期待しているからである。
つまり、
ストーリーとは、
一旦観客の心にブレイクを起こしたら、
その無意識に答え続けなくてはならない。
それは媚びるということではなく、
「より面白い流れへ乗せて行く」ことなのだ。
今、流れが出来た。
次に何が来る?
それは期待通りのものを投げてもいいし、
期待通りでそれ以上をぶっこんでもいいし、
そうしといてこっち、という(いい意味での)ハズシでもいい。
そうして、流れは流れてゆく。
ストーリーは、実は作者の一方通行ではない。
この無意識の、次への予測に、
作者が答えていくことなのだ。
その無意識の予測、期待、準備を読める人が、
客観的であるということだ。
自分側を見ているだけでは、けっしてそれを見ることは出来ない。
つまり、ストーリーとは、
見えないキャッチボールなのである。
そしてストーリーテリングとは、
その流れと予測の無意識のキャッチボールを、
最初から落ちまでつくりあげることを言う。
2015年03月24日
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