2015年03月24日

人は、次に来るものを予測し、準備する

ストーリーが点でなく線である、というのは、
人間のこの性質によるのである。


ひとつの点が面白いとする。
それで終わりだと、人は思っていない。

何故なら人は今、話を聞きに来ているからである。
一発芸を見に来ているつもりなら、
一発で面白かったら、
ああ面白かった、でおしまいだ。
(ツイッターのネタとかは、そういうことだ)

しかし、「お話」を聞きに来ているのなら、
何か一発面白いのなら、
さて次は何が来るのだろう、と心が準備をはじめるものだ。
何故なら、お話は、面白いことの次に面白いことが来るものだからだ。


今後どんな流れになるのだろう、と、
具体の予測を(ほぼ無意識に)することもある。

なのに一発芸で終わってしまうと、
人は失望する。


ペプシ桃太郎の第二弾のガッカリを思いだそう。
あれ?何この期待外れ?と思わなかったか?
これで終わりじゃないよね、もっと面白いラストへ向かっていくよね?
と思ったはずだ。
それは、無意識に次の流れを期待しているからである。



つまり、
ストーリーとは、
一旦観客の心にブレイクを起こしたら、
その無意識に答え続けなくてはならない。

それは媚びるということではなく、
「より面白い流れへ乗せて行く」ことなのだ。


今、流れが出来た。
次に何が来る?
それは期待通りのものを投げてもいいし、
期待通りでそれ以上をぶっこんでもいいし、
そうしといてこっち、という(いい意味での)ハズシでもいい。
そうして、流れは流れてゆく。

ストーリーは、実は作者の一方通行ではない。
この無意識の、次への予測に、
作者が答えていくことなのだ。

その無意識の予測、期待、準備を読める人が、
客観的であるということだ。


自分側を見ているだけでは、けっしてそれを見ることは出来ない。
つまり、ストーリーとは、
見えないキャッチボールなのである。

そしてストーリーテリングとは、
その流れと予測の無意識のキャッチボールを、
最初から落ちまでつくりあげることを言う。
posted by おおおかとしひこ at 12:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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