つまり、点であり、線になっていないからである。
これも、
人は、何か勢いのある面白い
(ギャグとは限らない)ものを見たら、
その次に来るものを(無意識に)予測するからだ。
高校理系数学にたとえると、
人は何か勢いのある面白いものを見たら、
その勢いに接線を引くのである。
この勢いのままだとして、
ある一定時間たった未来を予想するのだ。
(経済成長予測などにも使われる、初歩的実戦数学ですな)
日本の税金システムも同じだ。
今年払う税金は、去年の稼ぎを元に計算される。
今年何をしたか関係なく、だ。
例えば去年1億稼いでも、今年収入0だとしても、
全額使っちゃって貯金がなくても、
1億に対する税金、半分として5000万払わなければ脱税扱いだ。
つまり、今年は、「去年の勢いのままいること」が、
期待されているのである。
面白いギャグを言ったら、次も面白いギャグを期待される。
凄いことをしたら、次も凄いことを期待される。
泣けることをしたら、次も泣けることを期待される。
ちょっとセクシーなことをしたら、次もセクシーなことを期待される。
自分を安売りしたら、次も安売りを期待される。
そして、同じことをやってはダメだ。
似たようなこともダメだ。
次は、前と同じレベルか、越えなければならない。
ラッスンゴレライは、次にもっとリズムネタを要求される。
ペプシ桃太郎は、次にもっと度肝を抜くことを期待される。
恐らく出来ないだろう。
何故なら、単発で、たまたま良かったからだ。
まぐれ当たりが一発屋だ。
本物は、またヒットを打つだろう。
まぐれ当たりをした人は、何回かは呼ばれる。
(多少はずしても)
何回呼んでも最初を越えない限り、
なんだ一発屋か、と思われて飽きられる。
何故なら、人は現在の勢いの延長線の未来を、
予測して、期待して、身構えるからだ。
人の人生を、人はそのように見るだろう。
あなたもそうやって見ているはずだ。
やっぱり8.6秒バズーカおもんないやん、と。
あなたのストーリーテリングが、
そのような一発屋にならないようにしよう。
一発当てたら、二発三発のコンビネーションだ。
その為に、一発目をマックスにしない戦略もあり得るだろう。
僕が掴みをあまり重視しないのはその為だ。
まず二時間、あなたはコンビネーションを当て続けなければならない。
それが線の娯楽と言うものだ。
(何発必要か?は、難しい問いだ。
僕は少なくとも15分に一発は当てないとしんどい、
という仮説を出している。その一発の為に何発パンチが必要かが、
問題なのだがね)
何故一発屋は一発屋で終わるのか?
一発だからだ。
皆は二発目を予想するからだ。
そして、二発目が皆の予想を越えられないからだ。
一発当てることは、素人でもラッキーでも出来る。
YouTubeやニコニコの面白動画は、
そのような一発ネタに溢れている。
2ちゃんの名作コピペもその類いだ。
(テレビの一発ネタは、完全にこれらに食われたね)
線で面白く出来るのは、
訓練を積んだプロにしか出来ない。
それには、構成やらターニングポイントやらなんやらの、
ストーリーテリング技術が必要なのである。
ド素人に線の娯楽なんか出来るわけないやろ。
だからラッスンゴレライも、ペプシ桃太郎も、鼻で笑うのだ。
2015年03月25日
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