「バッドスタート、ハッピーエンド」という標語を以前に作ったが、
似たような別の話。
お話は、
滅多にないことからはじまる。
よくあることが起こっても、
よくあることなので注目に値しない。
よくあることは、どうなるか落ちまで予測がつくからだ。
滅多にないことが起こると、
予測できなくて、そこに興味が生まれる。
おっ、一体どうなるんだろう、と。
つまり、
ストーリーのはじまりは、
レアケースからはじまるべきだ。
たとえ凡庸な主人公だとしても、
起こることがレアとかにするべきだ。
レアなことは、それだけで引きがあるのだ。
それは、予測できそうで出来ない、
絶妙な案配にしておくのがいい。
主人公の存在そのものがレア、
つまり王族の血を引いたりしている者が、
偶然にも庶民にいること、
が、昔から好まれる、貴種流離譚である。
宝くじに当たったり、
美人と恋の可能性があったりなどのいいことや、
最悪のレアなことが起こることからはじまるなど、
主人公の存在以外の、シチュエーションがレア、というパターンもある。
(ソリッドシチュエーションホラーは、
そのレアシチュエーションが閉鎖空間での異常さを売りにしたものだ。
例えば「ソウ」では、目覚めたら異常空間に閉じ込められていて、
目の前には死体が転がり、ノコギリが置いてあり、カメラで監視されている)
あるいは、物凄いレアでなくても、
ちょっといつもと違う、あたりからはじまる物語もあるだろう。
いずれにせよ、
平凡なことでは、ストーリーの興味が持てない。
レアなことに、冒頭の興味が集まるのだ。
一方、ポピュラーなエンドの方が好まれる。
ハッピーエンド、愛の成就、正義は勝つ、逆転勝利、大団円、
などである。
バッドエンドや全滅エンドなどは、
どちらかと言えばレアケースだ。
何故だろう。
人は物語を見て、不安になりたくないからだと思う。
物語を見ることは、安心したい、安心を確認したいことと、
関係していると思う。
ポピュラーエンドの方が、その要求に答えられる。
カタルシスは欲しいものね。
例えば漫画「GANTZ」のエンドは全く良くなかった。
ポピュラーエンドでない終わりだったからだと思う。
もっとベタな王道の終わらせ方はいくらでもあった。
なのに、あれがすかしてかっけーとでも思っているのだろうか。
ポピュラーエンドでない終わりは、
結局居心地がわるくなる。
逆に、人は物語の結末に、居心地を求めるのではないかと思う。
レアスタート、ポピュラーエンド。
実践してみるのはどうだろう。
2015年03月25日
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