2015年03月25日

レアスタート、ポピュラーエンド

「バッドスタート、ハッピーエンド」という標語を以前に作ったが、
似たような別の話。

お話は、
滅多にないことからはじまる。



よくあることが起こっても、
よくあることなので注目に値しない。
よくあることは、どうなるか落ちまで予測がつくからだ。

滅多にないことが起こると、
予測できなくて、そこに興味が生まれる。
おっ、一体どうなるんだろう、と。

つまり、
ストーリーのはじまりは、
レアケースからはじまるべきだ。

たとえ凡庸な主人公だとしても、
起こることがレアとかにするべきだ。
レアなことは、それだけで引きがあるのだ。
それは、予測できそうで出来ない、
絶妙な案配にしておくのがいい。

主人公の存在そのものがレア、
つまり王族の血を引いたりしている者が、
偶然にも庶民にいること、
が、昔から好まれる、貴種流離譚である。

宝くじに当たったり、
美人と恋の可能性があったりなどのいいことや、
最悪のレアなことが起こることからはじまるなど、
主人公の存在以外の、シチュエーションがレア、というパターンもある。
(ソリッドシチュエーションホラーは、
そのレアシチュエーションが閉鎖空間での異常さを売りにしたものだ。
例えば「ソウ」では、目覚めたら異常空間に閉じ込められていて、
目の前には死体が転がり、ノコギリが置いてあり、カメラで監視されている)


あるいは、物凄いレアでなくても、
ちょっといつもと違う、あたりからはじまる物語もあるだろう。

いずれにせよ、
平凡なことでは、ストーリーの興味が持てない。
レアなことに、冒頭の興味が集まるのだ。



一方、ポピュラーなエンドの方が好まれる。
ハッピーエンド、愛の成就、正義は勝つ、逆転勝利、大団円、
などである。
バッドエンドや全滅エンドなどは、
どちらかと言えばレアケースだ。

何故だろう。
人は物語を見て、不安になりたくないからだと思う。
物語を見ることは、安心したい、安心を確認したいことと、
関係していると思う。
ポピュラーエンドの方が、その要求に答えられる。
カタルシスは欲しいものね。

例えば漫画「GANTZ」のエンドは全く良くなかった。
ポピュラーエンドでない終わりだったからだと思う。
もっとベタな王道の終わらせ方はいくらでもあった。
なのに、あれがすかしてかっけーとでも思っているのだろうか。

ポピュラーエンドでない終わりは、
結局居心地がわるくなる。
逆に、人は物語の結末に、居心地を求めるのではないかと思う。


レアスタート、ポピュラーエンド。
実践してみるのはどうだろう。
posted by おおおかとしひこ at 02:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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