この話、続けます。
結局、ストーリーを書くには、
この十発のパンチの組み立てが、
きちんと出来てるかどうかなのだ。
十発というのはものの例えで、
実際に何発必要かは、それぞれの理論がある。
(僕は二時間なら15分おきに八発、と考えたり、13発、と考えたりする。
そのパンチの数が物語の密度に関係する)
以下仮に十発とする。
十発のパンチの強弱は、
パンチの組み立てを考えるときに、
既に定まっていなければならない。
1〜10の威力の十発なのか、
9.1〜10の威力の十発なのか、
一発だけスカの3であとは9.1〜10なのか。
それは、あなたが「書く前」からわからない限り、
パンチの組み立てを考えることが出来ないのだ。
例えばあなたが、とあるバンドのライブの監督だとしよう。
十曲やるとして、
どの順に演奏するかを決めなければならない。
それと同じだ。
どんなパンチの種類で、どう盛り上がるかを、
十発の順番を決めなければならないのだ。
それが構成だ。
ライブならば、すでに確定している一曲一曲の評価があるから、
パンチの強弱を見積もることは簡単だろう。
しかし、シナリオの場合、
「書く前から強弱がわからないのに、
その順番を決めなければならない」のである。
逆に言うと、
シナリオのうまい人は、
「書く前から各パンチの強弱を把握していて、
それは高い精度でコントロールできて、
尚且つ十発の構成も出来ていて、
あとはそれを文字打ちするだけ」
になっているのである。
書く前に、全ての結果が出ているのだ。
将棋指しみたいな感じだ。その先は全部読めているという感じ。
将棋指しと違うのは、デジタルな「手を打つ」のではなく、
アナログ的な台詞と行動で表現することだけど。
勿論、
思ったように毎回書ける訳ではない。
だからリライトする。
出来てない部分を、理想に近づける。
何回もパフォーマンスを繰り返し、
一番狙い通りのテイクを編集する。
狙いから外れた良い出来は、狙いの設計を乱すなら捨てるべきだ。
(ここはいつも迷うけど)
だから、執筆なんて所詮些末なことなのだ。
事前の組み立てとその予想が全てなのだ。
それを、脚本の世界ではプロットという。
プロットは、ただのペラ一枚の1000字程度の文ではない。
十発の組み立て、その強弱予想、
その他書いてないが既に頭のなかに出来ている最終形、
全てのことについて出来上がった上で、
それを長々と書く前に、
「他人が読むために」短くまとめたドラフトにすぎないのだ。
つまり、プロットは氷山の一角で、
「プロットが出来た」とは、
初心者が誤解する「大体が出来た」ことを意味しない。
海の下の氷の分まで、出来ていなければならないのだ。
ただペラ一枚の文章を完成させれば良いのではないのである。
パンチの強弱の予想が正確に出来ること。
その通りに書けること。
その十発の組み立てが出来ていること。
その組み立て通りに書けたこと。
それが出来て、はじめて面白い話が書ける。
そうなるためにはどうすればいいか?
一発一発パンチを打ち、
その効果を確かめ、
二発三発の短いコンビネーションからはじめて、
コンビネーションの組み立てを研究し、
十発のコンビネーションに、発展させていくしかないだろう。
一発屋のパンチは100あるかも知れない。
我々のパンチは10程度の威力しかなくてもいい。
十発集めて100になれば、
その一発屋と同等の面白さになる計算だ。
戦い方が一発屋とは違うと、
ストーリーテラーならば自覚しよう。
隣の芝は青く見える。
一発屋と自分の才能を比較して嘆かないことだ。
最初にガツンとかまして、
なんてのは幻想だ。
あなたは、十発のパンチの、
最後でマックス強いのを打てればよい。
(その本質を知らないプロデューサーとか宣伝部とか、
現実的な対処はまた別の話)
十発のパンチの組み立てを考えることは、
十発のパンチを打ったことのある奴にしか出来ない。
パンチの組み立てを考えることは、
コンビネーションを打ったことのある奴にしか出来ない。
パンチを打つことは、
パンチを打った奴しか出来ない。
先は長いぜ。まず打て。
2015年03月25日
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