2015年03月25日

十発のパンチ

この話、続けます。

結局、ストーリーを書くには、
この十発のパンチの組み立てが、
きちんと出来てるかどうかなのだ。


十発というのはものの例えで、
実際に何発必要かは、それぞれの理論がある。
(僕は二時間なら15分おきに八発、と考えたり、13発、と考えたりする。
そのパンチの数が物語の密度に関係する)
以下仮に十発とする。


十発のパンチの強弱は、
パンチの組み立てを考えるときに、
既に定まっていなければならない。

1〜10の威力の十発なのか、
9.1〜10の威力の十発なのか、
一発だけスカの3であとは9.1〜10なのか。

それは、あなたが「書く前」からわからない限り、
パンチの組み立てを考えることが出来ないのだ。


例えばあなたが、とあるバンドのライブの監督だとしよう。
十曲やるとして、
どの順に演奏するかを決めなければならない。
それと同じだ。

どんなパンチの種類で、どう盛り上がるかを、
十発の順番を決めなければならないのだ。
それが構成だ。

ライブならば、すでに確定している一曲一曲の評価があるから、
パンチの強弱を見積もることは簡単だろう。

しかし、シナリオの場合、
「書く前から強弱がわからないのに、
その順番を決めなければならない」のである。
逆に言うと、
シナリオのうまい人は、
「書く前から各パンチの強弱を把握していて、
それは高い精度でコントロールできて、
尚且つ十発の構成も出来ていて、
あとはそれを文字打ちするだけ」
になっているのである。

書く前に、全ての結果が出ているのだ。
将棋指しみたいな感じだ。その先は全部読めているという感じ。
将棋指しと違うのは、デジタルな「手を打つ」のではなく、
アナログ的な台詞と行動で表現することだけど。

勿論、
思ったように毎回書ける訳ではない。
だからリライトする。
出来てない部分を、理想に近づける。
何回もパフォーマンスを繰り返し、
一番狙い通りのテイクを編集する。
狙いから外れた良い出来は、狙いの設計を乱すなら捨てるべきだ。
(ここはいつも迷うけど)

だから、執筆なんて所詮些末なことなのだ。

事前の組み立てとその予想が全てなのだ。
それを、脚本の世界ではプロットという。


プロットは、ただのペラ一枚の1000字程度の文ではない。
十発の組み立て、その強弱予想、
その他書いてないが既に頭のなかに出来ている最終形、
全てのことについて出来上がった上で、
それを長々と書く前に、
「他人が読むために」短くまとめたドラフトにすぎないのだ。

つまり、プロットは氷山の一角で、
「プロットが出来た」とは、
初心者が誤解する「大体が出来た」ことを意味しない。
海の下の氷の分まで、出来ていなければならないのだ。
ただペラ一枚の文章を完成させれば良いのではないのである。


パンチの強弱の予想が正確に出来ること。
その通りに書けること。
その十発の組み立てが出来ていること。
その組み立て通りに書けたこと。

それが出来て、はじめて面白い話が書ける。


そうなるためにはどうすればいいか?
一発一発パンチを打ち、
その効果を確かめ、
二発三発の短いコンビネーションからはじめて、
コンビネーションの組み立てを研究し、
十発のコンビネーションに、発展させていくしかないだろう。


一発屋のパンチは100あるかも知れない。
我々のパンチは10程度の威力しかなくてもいい。
十発集めて100になれば、
その一発屋と同等の面白さになる計算だ。

戦い方が一発屋とは違うと、
ストーリーテラーならば自覚しよう。
隣の芝は青く見える。
一発屋と自分の才能を比較して嘆かないことだ。


最初にガツンとかまして、
なんてのは幻想だ。
あなたは、十発のパンチの、
最後でマックス強いのを打てればよい。

(その本質を知らないプロデューサーとか宣伝部とか、
現実的な対処はまた別の話)



十発のパンチの組み立てを考えることは、
十発のパンチを打ったことのある奴にしか出来ない。
パンチの組み立てを考えることは、
コンビネーションを打ったことのある奴にしか出来ない。
パンチを打つことは、
パンチを打った奴しか出来ない。

先は長いぜ。まず打て。
posted by おおおかとしひこ at 12:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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