登場人物には、
尋常じゃない思いがある。
だから切実だし、
ちょっとしたことじゃ折れないし、
最後までそれを遂行しようとするし、
多少の反対には挫けない。
何故そういう思いに至ったのか。
そのことを、自分でどう思ってるのか
(多少は変だと自覚してるのか、
それとも無自覚なのか)。
その辺りを詰めていこう。
それが感情移入に値したときだけ、
それは人間ドラマになる。
僕が東京ガスの「お母さんのお弁当」を認めないのは、
お母さんの思いに感情移入出来ず、
気持ち悪いと思うからだ。
お母さん、分かるでしょう?と、
最初からお母さんの視点で書かれていて、
息子がどう思うかは無視しているからである。
僕は男なので、最初に息子視点で見てしまう。
それをねじ伏せて、母親に感情移入するべき物語のはずだ。
それが、「彼女の尋常じゃない思い」を、
上手く理解できないのである。
だって息子の自立すべき年齢の時に、干渉しすぎでしょ。
息子は出来れば顔も見たくない時期だぜ。
きっと、これを書いた人は女の人で、
女の人にしか分からないような感情なのだろうなと、
僕は吐き気をいつも覚える。
その閉じている感じにだ。
女にしか理解できない、女の世界だけで、
勝手に傷をなめあって、俺たちを拒否してやがれ、
と、腹が立つのである。
あなたの書く思いが、
そのように閉じるべきでない。
全ての人が感情移入するように、書くべきである。
その尋常でない思いは、
あなたの原動力になるから、
必ず核になるはずだ。
(それがないようなものは、どんな話でもぬるい)
それを、どれだけ自分で、冷静に、
客観的に見られるかなのだ。
冷静に見ていたら、その冷静が巻き込まれるほどの、
熱さを持っているかなのだ。
別に暑苦しい必要はない。
冷たいままずっと続ける熱さもある。
どれだけ冷静な人でも、
その思いを聞けば、その思いにシンクロしてしまうような、
尋常でない思いを描こう。
それはテーマに絡んでくるだろう。
動機に絡んでくるだろう。
その思いがあるからこそ、
とんでもない行動のとんでもない展開になっていくだろう。
つまりそれは、物語の核になるのだ。
あなたが普通の話しか書けないのなら、
その主人公が十人並みの思いしか持っていない可能性が高い。
誇張と省略だ。
その思いが他の人より飛び抜けた、
異常な人を書いてみよう。
きっとハチャメチャになるはずだ。
そのハチャメチャが、面白い物語と言われるのだ。
大抵の面白い物語は、「とんでもない」と言われるのだから。
2015年03月30日
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