このやり方から分かることは、
「最初に語られたことと関係して話が終われば、
人は最初から最後まで見た意味を理解する」
ということだ。
途中に「意味」はない。
ただ面白ければいい。
逆に、最初と最後以外は、
意味のあることをしてはいけない。
面白いことだけをし、
一時たりとも退屈させてはならず、
引き付け続ければいい。
引き付け続けるのは伝統があって、
死ぬ危険や恐怖、
謎、
重要な決定がこのあと下されるのが分かっているとき、
などがある。
ピリッとしないなら、このように直すといい。
最も単純な強い形は、このようなものである。
単純すぎて忘れているのだろう。
しかし、この基本形が、
全ての出発点になるべきかも知れない。
この単純形に絞りきれない未熟が、
余計なものをストーリーに持ち込み、
話を詰まらなくしているとしたら、
という可能性を考えよう。
途中のことに意味はない。
ファーストシーンとクライマックスシーンで囲まれる間のものは、
全てクライマックスシーンで昇華されるため、
燃え残ってはならない。
その主軸に添えるサブテーマの時だけ、
メイン軸以外に存在する意味がある。
そう考えると、
恐ろしく単純な構造が浮かび上がる。
三幕構造よりも単純なものがだ。
三幕構造や第一第二ターニングポイントが、
なかったとしても、
○問題とその解決
○ファーストシーンのことが、クライマックスシーンで関係してくること
それがそのストーリーの意味だ
○その間で何か意味をつくらず、間は燃え尽きるように
○間では、意味に関するメイン軸と、意味のサブの意味に関するサブ軸がある
この構造が全ての基本形になる、
と大胆に言ってみることにする。
その間のことで、
三幕構造があるかも知れないし、
序破急構造や起承転結構造があるかも知れないし、
どんでん返しや同時進行や伏線と解消があるかも知れない。
あまりにもあたりまえすぎるが、
複雑な事を考えるほど、
単純なことは見えなくなるものだ。
何となくだけど、
この形から話を作って、
徐々に複雑に発展させていく形では、
話を作れないような気がする。
まず複雑で面白い話を作り、
そこに伏線と解消のような部分構造をつくり、
三幕構造やターニングポイントの構造をつくり、
この最も単純形に整える、
という、
「複雑を整える」
やり方の方がいい気がする。
テンプレからは新しいことは生まれない。
新しいことをテンプレに整えて、食べやすくすることは出来る。
からである。
最初と最後を、整えること。
それをするには、
自分が全体として何を言ったかを、
整理して確定することである。
リライトの役目は、
「より面白くする」ことではなく、
「理解できる形にする」ことのような気がする。
2015年03月27日
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