2015年03月29日

大塚家具の争い2

この現実が何故物語的だったのか、
の解説その2。

脚本家は、この現実から物語特有の要素を見いだし、
自作の参考にするべきだ。
あの話は、なぜ物語的だったのか?


今回はテーマについて。

騒動が娘久美子氏の勝利に終わったことで、
ネットでは様々な「まとめ」、総括が行われている。
僕が見たので多かったのは、
「人々は合理的な判断をした」ということだ。
つまり、人を大事にした旧来のシステムが最早金を生まないなら、
合理的で冷たい判断だとしても、
金を生むことがビジネス的判断だ、
ということを、
人々はこの物語の「意味」だと受けとるのである。

現実には、この意味を証明しようとして、
彼女が動いたのではないだろう。
その意味を反証するために父がいたわけでもないだろう。
父がアンチテーゼになったのは、
外から見た結果的なことだ。

人々は、決着がついて終了した物語から、
結論を見いだそうとする。
それをテーマという。

具体的な彼女の発言や行動に、
「合理性の勝利」が一言もなかったとしてもだ。
むしろ、ないからこそ、
人はそこに、読み取ろうとするのだ。

それを、物語のテーマという。

この現実が物語的であったのは、
テーマがあったからだ。

彼女や敵の言動に、
一言も言ってないことのなかに、
テーマが読み取れたから、
この現実は物語的だったのだ。


テーマは、決して言ってはいけない。
(言っているうんこ作品の例:実写ガッチャマン、キャシャーン)
言わないが、無言のうちに伝える事を「読み取る」ことがテーマという枠組みだ。
この、「要するにこういうこと」と読み取ることが、
物語の最大の楽しみだ。
だから言ってしまうのは、下の下なのだ。

この現実は、テーマを読み取りやすかったのだ。
一般にそれを、「分かりやすい」という。

対立の構造、ティッキングクロック、危険という要素については以前に話した。
これが分かりやすかったからこそ、
人々はそこから、テーマを読み取ることが、簡単に出来た。
だから、「面白かった」のだ。


さらに一つ気づいたので、付け加えておく。
逆転劇だ。
クライマックス、株主総会直前の調査では、
60%で父有利と出ていた。
絶体絶命である。

かつての人脈を生かし、傘下におさめてきた、
有無を言わさぬ体制が勝利するかに見えた。
ところが大逆転が起こった。
合理性の勝利だ。

この鮮やかさが、劇的なエンディングを呼んだのだ。
これが逆転劇がなく、
ただの父の勝利に終わっていれば、
ただの大山鳴動ネズミ一匹の例で終わっていたところだ。
ここが逆転劇になったことで、
この現実は物語になったのだ。

つまり、静的構造だけでなく、
動的構造、すなわち展開が劇的だったのだ。


これらから脚本家は学ぶことが3つある。
構造を分かりやすくすること、
途中で劇的な展開にすること、
そして、皆はそれらを忘れてまとめに入ろうとすることだ。

この三つを、脚本理論では専門用語で呼ぶ。
一幕、二幕、三幕である。
これらを持つものを三幕構造という。

大塚家具の争いは、三幕構造がしっかりした、
物語と同じ構造のものだったのだ。
posted by おおおかとしひこ at 14:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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