この現実が何故物語的だったのか、
の解説その2。
脚本家は、この現実から物語特有の要素を見いだし、
自作の参考にするべきだ。
あの話は、なぜ物語的だったのか?
今回はテーマについて。
騒動が娘久美子氏の勝利に終わったことで、
ネットでは様々な「まとめ」、総括が行われている。
僕が見たので多かったのは、
「人々は合理的な判断をした」ということだ。
つまり、人を大事にした旧来のシステムが最早金を生まないなら、
合理的で冷たい判断だとしても、
金を生むことがビジネス的判断だ、
ということを、
人々はこの物語の「意味」だと受けとるのである。
現実には、この意味を証明しようとして、
彼女が動いたのではないだろう。
その意味を反証するために父がいたわけでもないだろう。
父がアンチテーゼになったのは、
外から見た結果的なことだ。
人々は、決着がついて終了した物語から、
結論を見いだそうとする。
それをテーマという。
具体的な彼女の発言や行動に、
「合理性の勝利」が一言もなかったとしてもだ。
むしろ、ないからこそ、
人はそこに、読み取ろうとするのだ。
それを、物語のテーマという。
この現実が物語的であったのは、
テーマがあったからだ。
彼女や敵の言動に、
一言も言ってないことのなかに、
テーマが読み取れたから、
この現実は物語的だったのだ。
テーマは、決して言ってはいけない。
(言っているうんこ作品の例:実写ガッチャマン、キャシャーン)
言わないが、無言のうちに伝える事を「読み取る」ことがテーマという枠組みだ。
この、「要するにこういうこと」と読み取ることが、
物語の最大の楽しみだ。
だから言ってしまうのは、下の下なのだ。
この現実は、テーマを読み取りやすかったのだ。
一般にそれを、「分かりやすい」という。
対立の構造、ティッキングクロック、危険という要素については以前に話した。
これが分かりやすかったからこそ、
人々はそこから、テーマを読み取ることが、簡単に出来た。
だから、「面白かった」のだ。
さらに一つ気づいたので、付け加えておく。
逆転劇だ。
クライマックス、株主総会直前の調査では、
60%で父有利と出ていた。
絶体絶命である。
かつての人脈を生かし、傘下におさめてきた、
有無を言わさぬ体制が勝利するかに見えた。
ところが大逆転が起こった。
合理性の勝利だ。
この鮮やかさが、劇的なエンディングを呼んだのだ。
これが逆転劇がなく、
ただの父の勝利に終わっていれば、
ただの大山鳴動ネズミ一匹の例で終わっていたところだ。
ここが逆転劇になったことで、
この現実は物語になったのだ。
つまり、静的構造だけでなく、
動的構造、すなわち展開が劇的だったのだ。
これらから脚本家は学ぶことが3つある。
構造を分かりやすくすること、
途中で劇的な展開にすること、
そして、皆はそれらを忘れてまとめに入ろうとすることだ。
この三つを、脚本理論では専門用語で呼ぶ。
一幕、二幕、三幕である。
これらを持つものを三幕構造という。
大塚家具の争いは、三幕構造がしっかりした、
物語と同じ構造のものだったのだ。
2015年03月29日
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