2015年03月31日

高見の見物

物語というのは、
そもそも高見の見物が前提である。
遊園地やスリルのある娯楽と違い、
決して危害を加えず、登場人物がいかに右往左往しようが、
あなたの人生には関係ない。

にも関わらず、
良くできた物語は、あなたの心の一番深い所を巻き込む。
高見の見物だったはずの物語世界と同じ地平に立ち、
登場人物達の喜びや悲しみを我が事のように感じ、
深い繋がりを得る。

感情移入によってだ。


この構造を常に意識しよう。


物語は、常に、
見られる前と、見ている途中と、見終えた後の、
三つの状態が人にはあるということだ。

見られる前には、感情移入は起こらない。(当たり前だが)
見ている途中に感情移入が起こる。(面白くないものには起こらない)
見終えた後は、どっぷりと感情移入に浸っている。

その物語がとても良ければ、
見終えた後の人は、その浸りを共有したくてしょうがない。
ファンの集いとはそのようなものだ。


ところが、
見る前の人に、見た後の人が、
感情移入を共有しようとしても、
それは不可能だ。
何故なら見ていないからだ。

ここが、宣伝部が頭を悩ませるポイントになる。


最初は高見の見物、
最後はどっぷりと世界の中。
これを客観化出来ないバカが、たまに宣伝部にもいる。

「見ればわかるから見てみて!」のタイプだ。
これは見終えた後の人の立場だ。
口コミが広まれば問題ない、
とかつて言われていたが、
口コミの広がるスピードは、思ったより遅いことが知られている。
情報を知られても、行動までたどり着かないのである。
(古典的法則、AIDMAに照らせば、
Attention、Interest、Desire、Memory、Actionのうち、
Actionにはなかなかたどり着かない。Memoryまでしか行かない)

ネットのバズは速くなったが、
人が、じゃあ見てみようかねと行動を起こすのは、
実は随分あとだ。
その情報に触れた瞬間に目の前にないと、なかなか手に取らない。
瞬間とはこの場合1、2分だと思う。

「私がいいと思ったからあなたも見てみて」は、
その人が目の前にいなくなると、
急激に薄れるのだ。

柴咲コウがセカチューの帯を書いて以降、
芸能人が勧めるパターンが増えた。
芸能人は常に目の前にいない人間のことだからである。
オピニオンリーダーとして、使いやすかったのだ。

が、
どんなに感情移入の事を語ったとしても、
高見の見物をそもそもしようとしている人に、
その地平に降りてくるように頼むのは間違いだ。

セカチューは、それが新しいパターンだったから受けた。
芸能人も泣いた、どんなんだ、というパターンが。
(今やアメブロステマに堕しているパターンだが)

最初から、高見の見物ではなく地平に降りるゲームです、
というパターンだったのだ。

これが「泣ける映画」ブームに繋がる。
泣けるという感情移入をワンワードで伝えやすかった。
だがそのうち皆は気づくのだ。
感情移入とは、そんな単純なものじゃないだろと。
(そんな風な専門用語では解釈していない。
平たい言葉で言うなら、泣けるだけの映画は単純で飽きた、だ)


感情移入は複雑な感情だ。
主人公やその他の登場人物の、
深くて込み入った事情や複雑な感情を理解し、共有することだ。

複雑さや深さと関係する。
単純すぎれば単純な感情移入で、
複雑なら複雑な感情移入になるのだ。

だから、
高見の見物客には、
感情移入の地平の、複雑で味わい深い、
感情移入の世界を伝えることは、
そもそも出来ないのだ。



さてそこで宣伝部は、
中身による宣伝を諦め、ガワに走るようになる。
凄いCG、凄い人の共演、凄い原作、などに。
とりわけ、説明不要で絵で見て分かることを珍重するようになる。
複雑で味わい深い相互理解を諦めているからである。
客寄せパンダでも、おっぱいでもなんでもいいからポローンと出せば、
中身を見てくれるだろうと考えるのだ。

なんと下品なのだろう。
おっぱいが、ではない。
作品に対する態度がだ。


高見の見物客には、高見の見物客が分かる、
感情移入の地平に降りてみようかな、
と思わせる言葉に翻訳しなければならない。


映画や小説の、
キャッチコピー、宣伝文句というのは、
その橋渡し役の一行になるべきだと思う。

おっぱいポローンのような、中身と関係ないガワを立たせるのでなく、
中身の感情移入の複雑妙味なものを、
複雑でないように表現しなければならない。

僕は、作品内のものを使わないほうが、
別のアプローチからいく方が、
その中身に肉薄出来るのではないかと思っている。

優れたジャーナリストが、
世界へ切り込んで上手くそれを短いレポートにするような。



僕の考える予告編の理想は、
感情移入に至る最初の所を上手く表現することだと考えている。
日常世界、きっかけとなる事件、第一ターニングポイントあたりを、
上手く編集しないと駄目だと考えている。
「これはどんな感情移入を扱う作品なのか」についての、
リードとなるべきだと思っている。

勿論、あなたの作品が面白く、
深い感情移入がなければ、その予告は意味がないけど。



ということで、
「てんぐ探偵」の新しいキャッチコピーが出来ました。

 闇にかざすのは、炎だ。

高見の見物客を、ビジュアル込みなら引っ張れるような気がしています。
posted by おおおかとしひこ at 13:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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