物語というのは、
そもそも高見の見物が前提である。
遊園地やスリルのある娯楽と違い、
決して危害を加えず、登場人物がいかに右往左往しようが、
あなたの人生には関係ない。
にも関わらず、
良くできた物語は、あなたの心の一番深い所を巻き込む。
高見の見物だったはずの物語世界と同じ地平に立ち、
登場人物達の喜びや悲しみを我が事のように感じ、
深い繋がりを得る。
感情移入によってだ。
この構造を常に意識しよう。
物語は、常に、
見られる前と、見ている途中と、見終えた後の、
三つの状態が人にはあるということだ。
見られる前には、感情移入は起こらない。(当たり前だが)
見ている途中に感情移入が起こる。(面白くないものには起こらない)
見終えた後は、どっぷりと感情移入に浸っている。
その物語がとても良ければ、
見終えた後の人は、その浸りを共有したくてしょうがない。
ファンの集いとはそのようなものだ。
ところが、
見る前の人に、見た後の人が、
感情移入を共有しようとしても、
それは不可能だ。
何故なら見ていないからだ。
ここが、宣伝部が頭を悩ませるポイントになる。
最初は高見の見物、
最後はどっぷりと世界の中。
これを客観化出来ないバカが、たまに宣伝部にもいる。
「見ればわかるから見てみて!」のタイプだ。
これは見終えた後の人の立場だ。
口コミが広まれば問題ない、
とかつて言われていたが、
口コミの広がるスピードは、思ったより遅いことが知られている。
情報を知られても、行動までたどり着かないのである。
(古典的法則、AIDMAに照らせば、
Attention、Interest、Desire、Memory、Actionのうち、
Actionにはなかなかたどり着かない。Memoryまでしか行かない)
ネットのバズは速くなったが、
人が、じゃあ見てみようかねと行動を起こすのは、
実は随分あとだ。
その情報に触れた瞬間に目の前にないと、なかなか手に取らない。
瞬間とはこの場合1、2分だと思う。
「私がいいと思ったからあなたも見てみて」は、
その人が目の前にいなくなると、
急激に薄れるのだ。
柴咲コウがセカチューの帯を書いて以降、
芸能人が勧めるパターンが増えた。
芸能人は常に目の前にいない人間のことだからである。
オピニオンリーダーとして、使いやすかったのだ。
が、
どんなに感情移入の事を語ったとしても、
高見の見物をそもそもしようとしている人に、
その地平に降りてくるように頼むのは間違いだ。
セカチューは、それが新しいパターンだったから受けた。
芸能人も泣いた、どんなんだ、というパターンが。
(今やアメブロステマに堕しているパターンだが)
最初から、高見の見物ではなく地平に降りるゲームです、
というパターンだったのだ。
これが「泣ける映画」ブームに繋がる。
泣けるという感情移入をワンワードで伝えやすかった。
だがそのうち皆は気づくのだ。
感情移入とは、そんな単純なものじゃないだろと。
(そんな風な専門用語では解釈していない。
平たい言葉で言うなら、泣けるだけの映画は単純で飽きた、だ)
感情移入は複雑な感情だ。
主人公やその他の登場人物の、
深くて込み入った事情や複雑な感情を理解し、共有することだ。
複雑さや深さと関係する。
単純すぎれば単純な感情移入で、
複雑なら複雑な感情移入になるのだ。
だから、
高見の見物客には、
感情移入の地平の、複雑で味わい深い、
感情移入の世界を伝えることは、
そもそも出来ないのだ。
さてそこで宣伝部は、
中身による宣伝を諦め、ガワに走るようになる。
凄いCG、凄い人の共演、凄い原作、などに。
とりわけ、説明不要で絵で見て分かることを珍重するようになる。
複雑で味わい深い相互理解を諦めているからである。
客寄せパンダでも、おっぱいでもなんでもいいからポローンと出せば、
中身を見てくれるだろうと考えるのだ。
なんと下品なのだろう。
おっぱいが、ではない。
作品に対する態度がだ。
高見の見物客には、高見の見物客が分かる、
感情移入の地平に降りてみようかな、
と思わせる言葉に翻訳しなければならない。
映画や小説の、
キャッチコピー、宣伝文句というのは、
その橋渡し役の一行になるべきだと思う。
おっぱいポローンのような、中身と関係ないガワを立たせるのでなく、
中身の感情移入の複雑妙味なものを、
複雑でないように表現しなければならない。
僕は、作品内のものを使わないほうが、
別のアプローチからいく方が、
その中身に肉薄出来るのではないかと思っている。
優れたジャーナリストが、
世界へ切り込んで上手くそれを短いレポートにするような。
僕の考える予告編の理想は、
感情移入に至る最初の所を上手く表現することだと考えている。
日常世界、きっかけとなる事件、第一ターニングポイントあたりを、
上手く編集しないと駄目だと考えている。
「これはどんな感情移入を扱う作品なのか」についての、
リードとなるべきだと思っている。
勿論、あなたの作品が面白く、
深い感情移入がなければ、その予告は意味がないけど。
ということで、
「てんぐ探偵」の新しいキャッチコピーが出来ました。
闇にかざすのは、炎だ。
高見の見物客を、ビジュアル込みなら引っ張れるような気がしています。
2015年03月31日
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