2015年03月31日

感情移入のみっつの関門

感情移入には、みっつ関門がある。

第一幕、第二幕、第三幕それぞれにである。


第一幕の関門は、
「起こっていることに興味を持たせ、
主人公の行く末に興味を持たせられるかどうか」だ。

感情移入にいたる前段階である。
逆に、ここで完全な感情移入を狙うと失敗するような気もする。

まずここが出来なきゃ話にならない。
大抵はヘンテコな事件とか、ヘンテコな人とか、
変わったことが起こる。(異物との出会い)
何かで圧倒的にやることもあるだろう。
一発屋に終わらず、次どうなるかの興味が持続し、
それが焦点となり続けなければならない。

椅子から尻を浮かせるレベル、と呼んでみよう。



第二幕の関門は、本当の感情移入と部分的感情移入の間になる。

「その人の本当の気持ちにシンクロし、
まるで自分の感情のように思うかどうか」と、
「気持ちが主人公から離れずに、ずっとキープしていられること」の間。

椅子から離れて心を奪うレベルから、
椅子から浮いたままのレベルのどこかである。


第二幕でやってしまいがちなことは、退屈させてしまうことだ。
何やってたんだっけこいつ、とか、
何のためにやってたっけ、どうでもいいや、になってしまうとダメだ。

その為には、一端主人公にひきつけた気持ちを、
引き続ける必要がある。

それは話の展開(主人公以外の要素)でひきつけてもいいし、
主人公自身の魅力でひきつけてもいい。
大抵複合技だけど。

「何分、主人公から心が離れたら人は退屈と思い始めるのか」に、
今のところ信頼できる調査結果はない。
経験で知ることだ。

「今、たしかに、一幕で見た話の続きが起こっている」と感じられなくなったとき、
退屈が襲ってくるような気がする。
「今、たしかに、一幕で見た話が展開している」と思えれば、
退屈は避けられると思う。

しかし、キープするには、キープレベルに、
主人公にちょくちょく触れなければならないだろう。
更に深く感情移入させるならば、
主人公に深く感情移入するエピソードや展開を考える必要があるだろう。

主人公から心が離れてきたな、と思ったら、
あなたは主人公に問いかけてみよう。
おまえいまなにしてんの?と。

主人公と深いつながりを持ち、まるで主人公の行動や気持ちが、
自分の行動や気持ちになっているような感覚こそが、感情移入である。
第三者視点からはじまったのに、第一者視点にいつの間にかなっているような感覚だ。
(ちなみに、本当に第一者視点でつくってしまった、
POV映画と呼ばれるジャンルがいっとき流行した。
これはその視線にはなれたが、感情移入ではなかった。
感情移入とは、外から内に入ることであり、最初から内にいることではない)


いずれにせよ、遅かれ早かれ、
本当の感情移入がどこかで完成しなければならない。
第一幕が、高見の見物客を、
「苦しゅうない、続けてみよ」と思わせることだとすれば、
第二幕は、いつの間にか感情移入の地平に降ろしていることだ。
主人公の行動や台詞に、
笑ったり驚いたりワクワクしたり泣いたりしているうちに、
主人公の悲しみや笑いや怒りや焦りや、恐れや祈りや喜びなどに、
いつの間にか同化することである。

どうやればいいのか、僕はまだ完全に分かった訳ではない。
面白いことが絶対条件。
強い感情や強い思いが必要条件のような気がしている。

泣くシーンでは作者が泣きながら書く、
笑うシーンでは作者が笑いながら書く、
それぐらいは基本だと思う。


二幕のどこかで本当に感情移入していないと、
三幕のクライマックスが来ても、
所詮他人事で詰まらないと思う。
いよいよ三幕。
感情移入のその先。


第三幕の関門は、
「この感情移入になんの意味があったのか分かるかどうか」だと思う。

感情移入したけど、
結局どうでもいい話だった、ではつまらない。

ここまで感情移入した物語が、見た人にとって、
見て良かった、見た価値があった、と思えなければならない。
おっぱい見れたから良しとする、
などの見世物小屋レベルでない、
物語にしか出来ない何かである。
つまりテーマだ。
人生をなんらかプラスにする何かでない限り、
見ても意味がなかった、と人は思うのだ。

説教しろとか豆知識を教えろという意味ではない。
人はもっと高度なものを物語に求める。
説教や豆知識や見世物小屋以上の、
高度な満足をだ。
テーマについては色々書いているので、ここではくり返さない。

これを、ようやく落ち着いて席に深く座れるレベル、と表現してみる。

映画は、席につかせたら、本当は座らせちゃいけない。
席から腰を浮かせて、ずっと世界の中に意識を漂わせ、
満足して席にようやく座る頃には、明かりがつかなくてはならない。
つまり、席に座らせてる物語なんて、屁だ。
感情移入が出来ている面白い映画は、
二時間のうち数分しか席に座っていない。
映画館の椅子は、詰まらない映画の時専用だ。



感情移入は、不思議なメカニズムだ。
出来のいい物語にしか存在しない。

あなたの物語は、どれも突破しているだろうか。
出来ていない所をチェックしよう。
あなたが思ったほど、観客は主人公に感情移入していないかも知れない。
あなたは全部分かって書くけど、
観客は探り探り見ている、という意識を忘れないようにしよう。
posted by おおおかとしひこ at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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