2015年04月01日

おはなしが上手く書けない人は

前記事からの続き。

話が上手くない人とは、
つまり、滑っているかに気づかない人だとも言える。


あなたの中には、多角的な視点があるだろうか。
あることに対して、
こうだと思ったり、全く別のことを思ったりするだろうか。

大多数はこう思うだろうなと予測したり、
自分は大多数と違ってこう思う。
何故ならこうだからである、
などと自己分析出来るだろうか。

一つしか見方が常にないとか、
自分が思うことを他人が理解できないのが分からず、
いつもずれていると言われ、何故なのか分からない、
ような人は、話を書くのには向いていないと思う。


ある主張があるとしよう。
それに反論してみよう。
それに再反論しよう。
それに反論しよう。

そんな、一人ディベートが出来ない人は、
話を書くのには向いていない。

世の中に様々な見方があり、
どれも自分が正しいと思っている、
という考え方を、内面化していないからだ。

あることを誰かがしたとき、
十人登場人物がいれば、十人とも反応が異なる。
性格が違うからではない。
考え方や立場が異なるからだ。


自然環境は破壊しても構わない、
雨が降ってきたらビニール傘はパクっていい、
人はすべからく努力すべきである、
などに反論してみたまえ。
それに、これらを主張する立場から再反論してみたまえ。

つまり、頭の中で喧嘩させてみよ。

世の中の色んな考え方に、
あなたが成る程と思ったり、同意できないと思うだけでなく、
こうであれば納得がいくとか、
この部分が妥協できないなどの、
変形をしてみなければならない。

あるいは、これを同意する人は○○も良しとするのか、
などを想像出来なければならない。


頭の中で、分裂するのである。
喧嘩する二人に。三人に。四人に。リアクションする十人に。

完全に分裂してしまうと、本当の人格障害になってしまうが、
物語を書く上では、
ある考え方に対して、
それぞれの一貫した考え方や立場からの、
別々の見方をする、
というシミュレーションが出来なければ、
物語を書くことは出来ない。

何故なら、物語とは、
コンフリクト、
すなわち、異なる立場や考え方のぶつかり合い(=喧嘩)だからだ。

その考え方から見た相手の考え方を、
あなたは想像出来なければならない。

頭がこんがらがる。

しかし我々が物語を見ているときは、
誰もがやっていることだ。


極端な例で、
日本に来たアメリカ人が、習慣や考え方の違いで、
ハチャメチャになるコメディを考えよう。

こいつはアメリカ人だからこうしてしまう、
こういう考え方がアメリカでは当たり前だからこうする、
ということと、
日本の常識との食い違いの、
面白おかしさを描くはずだ。

それを見る過程で、
アメリカ人はこう考えるのかという発見をしたり、
我々の常識にも問題があるのだな、
と分かったりするものである。

それは、アメリカ人と日本人の考え方の違いを分かっていないと、
描くことが出来ないだろう。
違いを際立たせれば際立たせるほど、
それは面白くなるはずだ。
同じものを見て、アメリカ人はこう考え、日本人はこう考える、
などが予測出来ないと、面白くなることはないだろう。


そうでない話でも、同じことだ。

アメリカ人と日本人を、
登場人物AとBにすればいいだけだ。
アメリカ人の考え方、日本人の考え方を、
Aの考え方、Bの考え方、
のようにすればいいだけだ。

人生経験が必要だ、というのは、
その考え方の違いに、リアリティーがあるかどうか、
ということに尽きるのだ。

若い人がコメディを書くのは、
考え方の違いにリアリティーがなくても良い
(考え方の違いをハチャメチャに出来る)からである。
ある程度人生経験を積めば、
考え方の違いにリアリティーを持たせられる程度には、
人の考え方の違いについて、
相対的になれているだろう。



あなたの中で、
様々な見方、考え方があるだろうか。
それがお話の素である。
それを上手く使いこなせない人は、
お話を書くのが下手かも知れない。
posted by おおおかとしひこ at 10:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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