2015年04月02日

バトルシーンはどう書くか

映画のハイライトとも言える、
チェイスやバトルシーンは、どうやって書くのがよいか。

極端な例だと、
戦隊もので「レッド、敵を倒す。」という一行が、
180カットの大アクションシーンになった、
という話を聞いたことがある。
爆発やらクレーンやら合成やらを使って、
数分に至る一大ページェントをつくったとしても、
台本には「レッド、敵を倒す。」しか書いていないのだという。

つまり極論すると、
脚本には、アクションシーンのアクションは書かなくてよい。


Aが右パンチを打ち、Bがかわし後ろまわしげりを…
などのように書かなくて良い。
細かく手を決めるのは、殺陣師と監督だ。

脚本的に重要なのは、
どこで誰がバトルをして、どっちが勝ったかだ。

それよりも更に重要なのは、
何故闘うことになり、
その勝敗が、今後どのような結果を及ぼしていくかだ。
つまり必然性と、その次である。
そしてそのバトルの前後で気持ちがどうなったかだ。

すなわち、ストーリーである。

バトルは点であり、線ではない。
線を書く、ストーリーを書くのが脚本だ。


勿論、書いてはいけないという話でもない。
ファイトスタイルが人物の性格を表すこともあるだろう。
重要な小道具が伏線や解消になることもあるだろう。
その間に台詞がないわけないだろう。

また、ストーリーに重要なら、
バトルシーンのイメージが必要だ。

炎上するコンビナートをバックに闘う、
(爆発や炎が伏線や小道具になる)
雨の中闘う(水が伏線になる、たとえば感電で決着とか)、
などのイメージ的なものから、
「スパイダーマン2」のクライマックス、
電車の暴走をスパイダーネットで止める、
細かい段取りまで。
マスクがどこで剥がれるか、人々の反応などは。
アクションが進みながらもストーリーが進んでいる。


日本では、
バトルシーンがあったとき、
本編と独立で考えられることが多い。
バトルシーンの入りと出だけ考えておいて、
別ユニット(アクション班)に渡す、
という考え方だ。特撮もそうだった。

だから、日本では、
ハイここからここまでアクション(特撮)、
終わったのでドラマ、ハイまたここからここまでアクション、
などのパターンが多い。
変身ヒーローの文法によって、本人役者を使わなくて良くなるため、
別班で進行可能だからだ。

だから監督は、
アクションや特撮になったら任せきりにして、
ドラマだけしか撮らない人もいる。
(僕は両方やりたい派。
風魔のもう一人の監督、市野さんは任せる派)

その伝統から、
特に日本では、出番と場所と結果だけ台本に書いて、
別班に任せる、というのが慣例だ。
場所すらも、ロケハンでいいところが見つかればそっちにしてしまう。


しかし、バトルシーンが本編の出来に物凄く関係するなら、
イメージボード(シーンを一枚から数枚の絵で描いたもの)
が使われることもある。
それはスタッフの為というより、
出資者の為である。
肝になるアクションのハイライトをイメージさせる為だ。


だから、いずれにせよ、
アクションシーンは、脚本にとってはどうでもいいのだ。
そのアクションが、どういう風にストーリーに関係があるかが、
脚本なのだ。


マトリックスの有名な、
バレットタイムで、ネオが銃弾をかわすアクションは、
脚本ではどう書くか。


スミス、ネオを撃つ。何発もの銃弾がネオに迫る。
ネオ、身体を海老ぞりにして銃弾をかわそうとする。
その一瞬を、カメラが回り込んで表現。
バレットタイムという革命的手法(別紙参照)で表現。
スーパースローで動く世界を、
カメラだけが物凄いスピードで動く。
銃弾すら空中をゆっくり動き、弾道の空気の揺れすら見える、
スーパースローの世界で、カメラだけがぐるぐると360度回り込む。
スローの一瞬を永遠に引き伸ばす感覚と、
カメラが回り込む感覚を同時にやる、革命的感覚だ。
そしてネオは殆どの銃弾をかわす。
一発、二の腕をかする。


などのように、詳細に書いても良い。
別紙にイメージボードをつけたり、映像テストをつけてもよい。

あるいは。


スミス銃を撃つ。
覚醒したネオ、よける。
が、一発二の腕をかすめる。


でもよい。
何も書かなくてもよいのである。
重要なことだけ、つまり、ストーリーを書くのである。
スミスが銃を撃つこと、
ネオが覚醒していること、
一発かすって今後の動きが鈍ること、
この三つが達成されていれば、ストーリーを書いたことになる。


好みもあるだろう。

しかし、一度ここまで削ぎ落としてみるとよい。
ストーリーが丸裸になり、
そのストーリーそのものが面白いかどうか、
分かるからだ。
これでも面白いストーリーが、
本当に面白いストーリーだ。

例えばミッションインポッシブル4(ゴーストプロトコル)
の真ん中あたり、ドバイタワーの一連のシークエンスは、
細かいアクションを書いてなくてもハラハラするだろう。

逆に、るろうに剣心は、
ここまで丸裸にしたら、ちっとも面白くないストーリーだと、
バレバレになってしまうだろう。

風魔は殺陣がとても良かったと思うけど、
それがなかったとしても、ストーリーとして面白かったから、
名作なのである。


脚本にアクションシーンを詳細に書かないのは、
あなたがアクションシーンが書けないかどうかとは、
関係がない。
ストーリーを丸裸にするために、
逆に言うとアクションシーンで誤魔化されないために、
あるのだ。
posted by おおおかとしひこ at 01:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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