調べものは、どこまで調べればいいか。
あなたが納得するまでだ。
そのことについて、あなたが納得し、
あなたがそのことについて、
(劇中と関係ありそうな)どんな説明でも出来ると思ったときだ。
例えば、妖怪について書こうと思えば、
その妖怪についてのありとあらゆるバージョンの話を収集したり、
似たものを調べたり、
共通するパターンの全然別のことについて調べたりなどだ。
妖怪が勘違いや幻覚から生まれている可能性に気づけば、
人の勘違いはどうやって起こるのかとか、
統合失調の幻覚の特徴とLSD幻覚は似ていることや、
ハレとケの感覚についても調べるだろう。
妖怪は想像力の産物だ、となるなら、
UMAや宇宙人や、神話などについても調べるだろう。
あるいは、藤子ヘミングのピアノ曲「ラ・カンパネラ」について
書こうと思えば、
動画検索はするとして、
他の演奏者のバージョンを聞いたり、
実は藤子は相当下手なのではと気づいたり、
それを解説比較したサイトにたどり着いたり、
そもそもこの曲は練習曲だったという事実に突き当たったり、
作曲者がリストという人だったり、
リストの生涯や後世の評価や他の曲を聞いてみたり、
一般に言われるこれは、原曲が難しすぎて簡単にしたバージョンだったり、
レコードとして録音されたのは4人しかいないほど、
完璧に弾くのは難しい曲だと知ったり、
にも関わらず藤子ヘミングの演奏が心を打つのは何故か調べたり、
彼女が有名になったのは、NHKのドキュメンタリーからだと知ったり、
などなどについて、思うままに、
納得するまで調べあげることだ。
実際、てんぐ探偵の「あのとき、出来なかったこと」では、
ピアニストになって弾きたかった曲としてこの曲が出てくる。
何故この曲が弾きたいのか、その思いを共有しないと、
感情移入出来ないからだ。映像なら音楽を流せるが小説では流せないので苦労した。
実際劇中では、上のことは殆ど使われていない。
リライト版(もうちょいで!)では、その感情移入のために、
調べ直したことを少し追加している。
調べものの基準は、
「へえなるほどね」である。
これはこういうことになっているのだね、だ。
「ラ・カンパネラ」は鐘という意味で、
細かい雨だれを表現したピアノタッチが、鐘が鳴るように聞こえることから、
と言う意味らしい。
この「はあなるほど」がひとつ出れば、
恐らくそれを使うことになる。(そしてそれをリライト版で使っている)
恐らくそれは、そのことを「理解する」ということだと思う。
あなたがそれを理解した、
その理解を、皆は聞きたいのだ。
同じく、てんぐ探偵「爆音ギタリスト」で、
シド・ヴィシャスについても調べ直している。
これが芸名であることは調べ直して知った。
シドアンドナンシーで有名な、ナンシーの動画が残っていて、
凄いワガママそうなデブのオカンぽい女だったことを知った。
オカンと自閉症の息子みたいだった。
シド・ヴィシャスは、ポーズで悪い演技をしていたと考えると、
納得が行くようになったので、これもリライト版に生かしている。
(本当は映画「シドアンドナンシー」を見たり、そのファッションの系譜を調べたりもしたいが、
時間がないし、本編と関係ないような気もし…)
ははあ、これはこういうことだな、
という「理解」が大事だ。
それは、誤解ではいけない。
そのネタを使うからには、間違ってたら意味がないからだ。
二次資料三次資料に当たらず、一次資料に当たることも、
それを正確にするだろう。
そしてその「理解」がどれくらいポピュラーか、
マイナーか、あるいはその理解や解釈をめぐって、
かつて論争があったかどうか、なども調べておくべきだ。
ネットが発達した2000年代以降はネットで調べやすいが、
それ以前はもっと感覚的なものだったり、
一次資料がなかったりもするけど。
僕は天狗については凄く調べた。
いずれ作中で使うかも知れないし、使わないかも知れない。
天狗はただの妖怪ではない。
これ以上はネタバレなので書かないけど。
逆に、○○に詳しい人がいるとする。
あなたはそれについて聞きたいとする。
まず最初に聞くだろう。
「○○って、本当は何ですか?」って。
矢追純一が来れば、「UFOって本当は何ですか?」って聞くだろう。
あなたが調べものをするということは、
それにある程度の結論を出せなければ、
意味がないということである。
その「見方」が、
調べものの結果、一般的な結論に収束してもいいし、
独特の見方でもいい。
それが、作家的見方なのだ。
2015年04月02日
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