2015年04月02日

朝はアイデアを連れてくる

と良く言われる。
何故かと言うと、「細かいことは寝ると忘れる」からだ。

これを発想に生かすのが、プロの生活だ。


朝起きたら、細かいことは忘れている。
寝起きのボーッとしたときだけ出来ることがある。
全体を俯瞰することだ。

この作品のテーマはどういうことだろう。
本質はなんだろう。
構成はこれでいいか。
主人公は、結局どうしたいのか。


場面場面のディテールを忘れている朝だからこそ、
枝葉は印象で判断して、
幹だけを見ることが出来る。

決してディテールを見ないことだ。
幹だけを見るために、昨日まで広げていたものは見ないことだ。



今朝起きたこと。
二集の構成を変えたこと。(それに伴い三集も変わったこと)
以前、一集から三集の計15話の並び替えをするための、
カード(付箋)をアップしたと思う。
実はあれからまだ構成はフィックスしてなくて、
今朝アイデアを思いつき、17バージョン目の構成に落ち着いた。
(第一話と、第一ターニングポイントになる15話を固定しても、
13!通り、つまり62億通り組み合わせは存在する。
そこからベストを作らなければならない。
組み合わせ爆発の罠である)

昨日、旧二集のリライトを全部終えて、
今日は三集の仕上げをする予定だった。
なんとか週末に間に合うぞと思っていた。
だが、各話のディテールを書き終えて、
少し気になっていたことがあった。

シンイチへの感情移入の流れだ。
各回は宿主が主人公ではあるが、
全体の主人公はシンイチである。
第一集をシンイチ中心の話に再構成したため、
第二集が、他の人が主人公になることが多く、
シンイチへの感情移入が遠ざかる、という欠点があったのだ。

これに気づいたのは朝起きてからだ。
寝る前は、第十話「静かな朝」での、
シンイチの行動を増やした方がいいのではないか、
と思っていたからだ。

つまり、寝て起きると、
細かいことを忘れているがため、
巨視的なことが見れるようになるのである。

十話の中でのリライトよりも、
シンイチが主役になりうる話を二集に持ってくる、
というより巨視的な再構成のほうが有効である、
ということに、
ディテールにとらわれず気づいたのだ。



頭が起きてくると、
ディテールが甦ってくる。
再構成した17バージョン目は、
シンイチに感情移入したぼくらの気持ちが、
その後どうなっていくかについて、
子細に検討できるようになるのである。

しかし再構成を思いつけるのは、
ディテールを忘れて、概念的に操作出来る時だけだ。




朝、大雑把に考える。
昼、細かく考える。
夜、物凄い狭いところに入っていく。
風呂入って寝る。忘れる。
起きる。
大雑把に全体を見る。

このループで、全体は出来ていく。


会社の仕事を抱えながらなので、
理想通りにはいかないけどね。
もし、別の仕事をやりながら自主製作してる人がいれば、
夜だけやるのではなく、
朝にも少し全体を考える時間を増やすといいよ。
posted by おおおかとしひこ at 11:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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