三幕理論は、使いにくい。
分析の役には立つが、
実際作るときの理論としてはどうかといつも思う。
各幕の名前のせいではないかと思う。
ここに、新しい三幕の呼び方を提案してみたい。
問題、アイデアとその実行、変化
という呼び方に変えるのはどうだろう?
設定、展開、解決
(set up, developmentまたはexpand, solution)
というのは、書く者にとって微妙だ。
「設定」だ!と思ってしまうと、
設定ばかり書いてしまい、
肝心の感情移入や、話の取っ掛かりや展開を書くことを忘れてしまう。
そもそも観客の興味は事件や焦点であり、
設定にはない。
設定はたとえば第二幕で追加出来るが、
一幕だけで設定しようとして、
一幕がパンパンになってしまうこともある。
二幕が展開だと言われても、
何が展開になるのか、分からなくなってくる。
スプレッドばかりやってしまい、
肝心の話が進まなくなる。
主人公ではなく、
相手側からいろんなことばかり「やって来る」ことばかり書いてしまい、
肝心の主人公への寄り添いを忘れてしまう。
三幕が解決だと言われても、
問題の解決を描けても、
肝心のテーマが疎かになってしまう。
主人公が変化しなければ、
その話は意味のない話、ただの処理になってしまうからだ。
つまり、名が体を表すように命名されていない。
正確には、分析者の言葉であり、
書く者の言葉になっていない。
外から見た言葉で、内から見た言葉ではないのだ。
書く者にとって、使いやすい言葉に直すべきだ。
ということで、
第一幕:問題
第二幕:アイデアと実行
第三幕:変化
と定義しなおすのはどうだろうか。
問題:
日常生活に、どんな問題があるか、発生したかを描く。
主人公はどうするだろう。
あなたは問題が発生したらどうするか。
逃げる。見て見ぬふりをする。誰かにふる。
正義の好漢でないなら、そのようなリアルな反応をするだろう。
それが、「自分で問題を引き受けなければならないようになる」
までが第一幕だ。
その問題は、外的な問題対処だけでなく、
多くの場合、主人公の内面的問題に対処することも含む。
映画が単なるトラブル処理の面白さ以上の面白さであるのは、
ここだと僕は考えている。
外的な問題解決が、内的な問題解決に、
結局なるようにストーリーを組むと、
とても深く面白いものになると思う。
問題が日常に発生、
それを自分の問題として解決に乗り出すまでが、
「問題」のパートである。
アイデアと実行:
自分の問題となれば、解決には、
何らかのアイデアが必要だ。
通りいっぺんのものでもいいし、
独自なユニークなものでもいい。
そのアイデアとその実行を描くといい。
すぐに成功すれば第三幕に行って、
めでたしめでたしだろう。
しかし、映画は一筋縄ではいかず、
思わぬ失敗や反対勢力に出会うことになる。
これがコンフリクトだ。
これらの波風をおさめながらも、味方を増やしたりしながら、
アイデアと実行を更新しながら、
主人公(一行)は、解決へ進んでいくのである。
アイデアなき二幕は詰まらない。
主人公に独自の考え(それは特別ユニークでもそうでなくてもいい)
がなく、行動しないものは詰まらない。
だから、アイデアと実行、と名付けてみた。
主人公に考えがなければ、行動もせず流されてばかりだろう。
やらされている状態でも詰まらないだろう。
何故主人公がそんな考えをし、
何故そんな行動をするのか、
分からないものも詰まらない。
それらを分かった上で、更に面白く楽しめるのが、面白い物語だ。
変化:
問題の解決よりも、
(仮に未解決だとしても)
これらによって、世界がどう変わったかが大事だ。
全く元の日常に戻ってしまったら、
ただの処理で終わってしまう。
なにも起こらなかったことと同じだ。意味がない。
少し世界が○○方向に良くなった(悪くなった)、
主人公が何かよい方向に変わった(悪くなった)、
などが、
その物語全体が間接的に語る意味だ。
それをテーマと言う。
一番気持ちよいのは、
問題が解決し、主人公の内的問題も解決し、
しかも鮮やかに解決し、
世界と主人公がよい変化をする、
気持ちのよいカタルシス、大団円、
完全なハッピーエンドである。
そうでないハッピーエンド、ビターエンド、バッドエンドは、
全て完全なハッピーエンドよりは悪い出来だと僕は思う。
勿論中途半端なハッピーエンドなら、
それより出来の良いバッドエンドが上回ることは、ある。
一幕、二幕、三幕を書くとき、
何を書けばそれを書いたことになるか。
設定、展開、解決ではなく、
問題、アイデアと実行、変化、
と考えて各要素を深めていくと、
「何を思いつくべきか」の指針となるのではないか。
参考にされたい。
2015年04月02日
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