2015年04月03日

最初の方は、作者が慣れていない

時間軸を持つもの全てに言えることかも知れない。

作者が全てに慣れて、コントロール出来るのは後半だ。


逆に言うと、
どんどん慣れてくる。
最後になればなるほど。

中一より中三のほうが充実してたイメージ。

最初は慣れてないのだ。
世界にも、主人公にも、執筆そのものにも。

だから、
上手く行かないからといって途中で投げ出さないことだ。
最後まで書いた人にだけ、
リライトのチャンスがあるからだ。

未完は、書き直しすら出来ない。

最後まで書いて、世界に慣れてから、
書き直しによって完成させるイメージを持っておくといいかも知れない。


漫画家とかの初期絵を見れば分かるだろう。
連載が長引けば長引くほど絵が変わってくる。
最初の方と最後の方では絵が違う。
それは最初が下手だったのではなく、
どんどん上手くなったのである。

書くことは、あなたの書く能力を向上させる。
これは本当だ。
例えば僕はほぼ毎日このブログを書いているが、
最初の頃より上手くなったような気がしている。
小説も、今見ると初期のは酷い。
六集ぐらいになると、随分こなれていると思う。


リライトは、だから、前半に集中する。
最後まで書いて慣れたからこそ、
それを前半に生かせるようになる。

素人は最後まで書けたら完成だと思ってしまう。
プロはそれは半分も来ていないと考える。
最後の方の筆の走り具合を、
最初の方にも生かして、
より良い前半に書き直すものである。


てんぐ探偵だと、ひとつのエピソード内でもそれが顕著だったりする。
15話妖怪どうせでは、後半より前半がぎこちない。
15話まで来たということは、なんとかなりそうということでもあるが。



あなたは話し始めたとき、
その話そのものに慣れていない。
観客は、語り手が慣れている慣れていないなんて判別出来ない。
慣れていない、駄目なものを提供するのは恥だし、
そもそも失礼だ。
後半の慣れを、リライトして前半に生かそう。


(ということですいません。リライトしております)
posted by おおおかとしひこ at 00:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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