どういうものが優れたドキュメンタリーについては、
僕は専門家ではないから何とも言えない。
だけど、ストーリー的に優れたドキュメンタリーが、
淡々としたレポートよりも余程面白いということは分かる。
どこまで演出かやらせか、なんて議論が起こるのも、
ドキュメンタリーは本当か、という議論が起こるのも、
ストーリー的な演出がそこに入ることを意味する。
それはつまり、人はものごとを、
「ストーリー的に理解すると気持ちいい」のではないか、
という仮説に至るのだ。
たとえば、大塚家具騒動では、
結局「父娘の新旧価値観のケンカ」というストーリーに、
事実が歪められてしまっているような気がする。
そもそも大塚家具は高い。(有明を何周もして値札を見た実感)
相場から高いか安いかは分からないが、
僕のような庶民が買うのは一生に一回ぐらいだろう。
とりあえず安いのにして、いつか高いのを、
という気持ちの方がリアルだ。
家具に金を使うぐらいなら、家族に金を使いたい。
つまり家具なんて、余程のマニアでない限り、余った金で買うものだ。
だから、セット売りで金持ちを囲いこむビジネスモデル対
オープン戦略という、これからの金持ちをどう読むかが、
リアルな争点の筈だ。俺ら庶民は関係ないのだ。
ところが、これを、
「時代錯誤の遅れたやり方vs進歩的でフラットな現代的考え方」
という「ストーリー」にしてしまうことが、
この話をややこしくさせる。
「時代錯誤の親父は破れ、現代が勝った」という、
恐らく事実とは違うストーリーにされている。
多くの人が、「ニトリに勝てるわけない」と誤解してるのがその証拠だ。
人々は、一般向けのオープン戦略というと、
庶民の我々向けだと思うからだ。
実際、大塚家具は安売りはしないだろう。
あの値札を普通と思う金持ちを相手に、
ただセット売りをしないだけのビジネスモデルになるだけだろう。
安い自社ブランドは別につくるかも知れないが、
儲かるのは高級家具であり、薄利多売モデルではないからだ。
今回の「ストーリーを理解した」人が実際に店舗に行ったら、
驚くと思うよ。
庶民向けじゃないじゃない。大塚家具は高いのね、安いニトリやイケヤがいいわと。
それはつまり、「高級家具をどう売るか」という事実と、
「アホなバブル親父対賢い現代の娘」というストーリーが、
解離しているからである。
「賢い現代の娘」は、高級家具は買わずにニトリで合理的に揃えるからである。
賢い現代の娘というストーリーが強いため、
高級家具販売をオープン戦略にするだけなら、
「世間知らずのお嬢様が会社を潰す」というストーリーが次に待っている筈だ。
つまり、問題は、
人が(仮に事実と違っていたとしても)ものごとを、
ストーリー仕立てで理解することが、気持ちよくて本質的だ、
ということにある。
桃太郎や浦島太郎は元々事実だったのが、
ストーリー的に理解することで、
事実とは異なるストーリーになってしまっているかも知れないのだ。
優れたドキュメンタリーは、
多分事実を丹念に拾い、真実の告発をするジャーナリズムが正しいと思うが、
それを理解する側は、
ストーリーでしか理解できない(それ以外の理解は気持ちよくない)、
と仮定すると、
事実がどうであれ、
ストーリー的な理解を出来るドキュメンタリーのほうが、
より訴える力が強いことになってしまう。
プロジェクトXが、
ただの仕事を、「たとえ忘れられても、地上の星がある」
というストーリーに仕立て上げていたとしても、
そのストーリーが強力なため、
何でもかんでも地上の星にしてしまったのではないだろうか。
一個一個検証してないけど。
で、地上の星と言うほどでもないな、
というネタ切れで、ストーリーは終わってしまったような気がする。
ドキュメンタリーがネタ切れということはないはずなのに。
優れたドキュメンタリーかどうかは分からないが、
「面白い」ドキュメンタリーには、
必ず「理解できるストーリー」がある。
その時点で、ドキュメンタリーはストーリーになる。
つまり、三幕構成がベストで、
ターニングポイントや焦点のある、
我々が毎日議論しているものと同じになる。
それありきで事実を曲げて撮るのを、演出(≒やらせ)というだけだ。
先日岩手の鬼踊りの伝承を調べていたら、
アップリンクファクトリーのドキュメンタリーリストにたどり着いた。
面白そうと思うドキュメンタリーには、
必ず面白そうなストーリーがあることに気づいた。
本当は、埋もれそうな地方の文化を伝承することの大切さ、
とかのほうが大事なのだろうけど、
それよりも「モハメドアリは何故強かったのか?」
みたいな「面白そうなストーリー」に、
人は惹かれてしまうのではないだろうか。
で、ストーリー仕立てにするなら、
ここの脚本理論を応用すればいいということになってしまう。
本当に優れたドキュメンタリーは、
事実をきちんと伝え、
しかもそれが歪曲されず、
そのストーリーで理解するならば正しく理解することが出来るものだろう。
次に、ストーリーで理解できるが、
事実とは異なるものが来てしまい、
(恐らく大塚家具報道。それでもネットがなかったら、
報道のストーリーを鵜呑みにしてしまったかも知れない)
その次に、ストーリー仕立てではないが、
事実をきちんと伝える、地味な作品が来る筈だ。
僕はドキュメンタリー作家ではないのだが、
言えることはストーリーの強力さだ。
人は自分の理解できるストーリーでしか、
物事を理解しない。
高度なストーリーが理解できないときは、
低度なストーリーで理解し、
そちらで気持ちよくなる。
低度なストーリーに事実を曲げてサイズダウンすることが、
狙ってやってるのか、愚かさ故にやってるのか、
分からない所が、難しい所だ。
本当な賢者ならそのようなことはせず、
高度な事実を、高度なストーリーで、
しかも分かりやすく出来るはずなのだが。
ジャーナリストに高度なIQが必要だ、
というのは、低度なストーリーに堕さないことを意味してると思う。
ところがワイドショーには、
低度なIQの人達か、
高度なIQで低度なストーリー(プロレス)を書く人がいる。
かつては後者だと思っていたが、
大人の現実を知れば知るほど、前者なんじゃね?
という気がしてきている。
マスコミ批判は、とりあえずどうでもいい。
ストーリーに、人は巻き込まれる。
これだけが真実だ。
2015年04月04日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック