何故なら、客観性がないからだ。
「やりたいこと」は、なんでもいい。
戦闘シーンとかエロシーンとか、
とあるシチュエーションなどの「点」が多いだろう。
こうなってこうなってこんな感じ、
という「線」の展開もあるかも知れない。
点にせよ線にせよ、
あなたのやりたいことリストは、
やりたいことリストに書き連ねておき、
今目の前の創作に持ってくるべきではない。
つまり、
やりたいことを並べることは創作ではない。
これは初心者にとっては、意外なことだと思う。
芸術とは、ミューズに導かれて作るものではないのかと。
何か衝動があり、
それを核にして作っていくのではないかと。
絵画や写真や彫刻なら、そうかも知れない。
歌でも、そうかも知れない。
だが、僕は、作劇は違うと思っている。
そのミューズは、「ストーリーの形をしていない」からだ。
もし「あなたのやりたいこと」が、
三幕構成を持ち、第一第二ターニングポイントを持ち、
なんならブレイクシュナイダービートシートの形を持ち、
メインプロットとサブプロットを持ち、
モチーフとテーマの関係がしっかりあり、
日常と非日常の差異がちゃんとあり、
感情移入がしっかりと出来て、
内的問題と外的問題の一致がカタルシスを生み、
なおかつ中身とガワが上手く機能してること、
ならば、
それをミューズとして、作劇は可能だ。
つまり、「やりたいこと」で思いつくレベルに比べて、
ストーリーというのは、
あまりにも複雑な要素と構造を持つのである。
このうち部分的にやりたいことがあり、
他をそれに合わせて行くと、
出来るのではないだろうか。
あなたはそう思うかも知れない。
ところが、(経験上)そうはいかないのだ。
やりたいことが先に部分としてある場合、
その他が辻褄合わせの役割に過ぎなくなるからだ。
面白いストーリーは、
全てのパーツが、それしかあり得ないかのような、
それぞれ存在意義があるようなものの組み合わせだ。
決して、辻褄合わせの組み合わせではないのである。
合コンの人数合わせのような、一部がどうでもいいものになる。
5人のメンバーのうち1人ぐらいが人数合わせなら、
なんとかなるかも知れないが、
あなたの「やりたいこと」は、全分量の4/5も思いついていないはずだ。
きっと1/10以下だ。
10人の合コンで、9人が人数合わせのものを想像しよう。
カオスになり、盛り上がりもしないのは明らかだ。
ストーリーは、
思いつきでつくるには、
あまりにも複雑なものなのである。
ただやりたいことの羅列は、ストーリーにならないのだ。
試しに、その「やりたいこと」が、
何分相当になるか見積もるとよい。
3分を越えることは滅多にない。
5分越えることはほぼないだろう。
あなたは、115分辻褄合わせをするつもりなのだろうか。
あなたは、やりたいことばかり見ていて、
残り115分を見れていない。
それはつまり、客観性がないということだ。
では、どういうことを思いつけばよいのだろうか。
やりたいことを思いつき、
それらを並べて繋げていくことがストーリーの作り方でないとすると、
どのような作り方がよいのだろうか。
○テーマを決めて、つくる
まず最初にテーマを決めてしまい、
それを表す最も面白いストーリーをつくる。
理想の教科書的方法だ。
しかし前記事に書いたように、
テーマを見つけることが一番難しいから、
初心者にはオススメしない。
(CMぐらいなら作りやすいかもだ)
○冒頭を思いつく
主人公が陥った面白いシチュエーションを思いつく。
そこからの脱出法を考えてゆく。
大抵先にラストを決めて、
間の展開を練りまくる。
○お楽しみポイントを思いつく
△△での大冒険とか、○○になっててんやわんやとかだ。
二幕前半戦の面白い具体を思いつくのが得意な人もいる。
そうなるに至った経緯とラストのクライマックスを後付けで考えていく。
あとの二つは、最も重要なテーマが抜け落ちているため、
発展させながら同時に考えつかなければならない。
どちらにせよ、
ストーリーの形を取るまで思いつき続けなければならず、
そこに「やりたいこと」を、
必然性も込みで入れ込むのは中々に困難であることに、
そのうち気づく筈だ。
その「やりたいこと」が三幕のうち何幕か、
開始何分相当に起こるのか、具体的に考えれば考えるほど、
辻褄合わせばかりになり、
その周囲は面白くなくなるだろう。
あなたの「やりたいこと」は、
ストーリーにとって、ごり押しキャスティングのようなものだ。
無理矢理入っているかのように見える。
他で辻褄合わせをするからだ。
それは、周りにはバレバレだ。
ストーリーはそうやって出来るものではない。
2015年04月06日
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