前記事からの続き。
面白いビジュアル、
面白いストーリー展開、
変化で示す面白いテーマ、
この三つが同時に思いつくこと。
無理なら二つ同時で、残りひとつをひねり出す。
一つだけ思いつくだけでは、面白いストーリーにならない。
どういう形のレベルで思いつくとよいか、
その発展のさせかた。
ビジュアルに関しては理論がないので、
才能で補ってくれ、としか言いようがない。
絵として独立した面白い絵は、脚本にはいらない。
脚本に必要な面白いビジュアルとは、
「ストーリーを絵で示すとき、
それが面白そうな絵」のことだ。
以前、「映画を4コマ漫画に縮める」というエクササイズを示した。
どんな映画でも無理矢理4コマ漫画に縮めると、
絵のエッセンスが出てくる。
例えば「桃太郎」。
桃から生まれた絵。
鬼退治に出発の絵。
家来を得る絵。
鬼退治の絵。
殆どが、「キャラの立った」絵だ。
とくに、桃から生まれた絵と、きびだんごで家来を得る絵は、
このストーリーがオリジナルである。
どんなにバージョンを変えても、
これを変えたら桃太郎じゃないやろ、
というオリジナルの「ストーリーを表す絵」だ。
あなたがビジュアルを思いつく時、
いきなり何個も思いつかなくてもよい。
ただ、衣装とかアイテムとかの、ヨリの絵でなく、
複数の人々が何かをしてるフルショットの、ヒキの絵でないと、
ストーリーを表す絵にはならないだろう。
(てんぐ探偵で言えば、シンイチと大天狗の出会いが、
最初に思いついたビジュアルだ)
あるいは、「ジョジョの奇妙な冒険」は、
「石仮面のアップ」から思いついたような気がする。
周りを一切描かない、アップで想像を膨らませるやり方もある。
長編は、そういうやり方のほうが持つかも知れないね。
それが冒頭なのか、
途中なのか、
解決なのか、
それによって、どこにあなたの無意識の力点が置かれるか決まってしまう。
4コマ漫画に戻れば、なんコマ目か、
ということである。
他のコマについても、オリジナリティ溢れるビジュアルを思いついてもよいが、
大抵、最初の思いつきの凄さを越えない。
一つだと勝負するには足りず、
二つ凄いのがあれば御の字、
ぐらいに考えておくとよい。
二つ目以降のビジュアルは、ストーリーが出来てから考えても遅くない。
展開を考えること。
ストーリーとは、問題と解決のことである。
従って、どんな問題が起こるのか、
主人公はどう関わるのか、
(間は大抵はしょって)
それがどういう解決をするのか、
のセットに整える。
つまり、ハッピーエンドかバッドエンドかは、
この時点で既に決まっている。
(作者の思いつきで途中で変更するのは、
これ以後のことを台無しにする)
実は、問題と解決さえ出来ていれば、
間は何でもよい。
複数の「間」を入れ換えても成り立つ。
ここがストーリー創作の面白さであり、難しさだ。
例えば桃太郎に戻れば、
鬼退治への出発から、鬼退治の間に、
何を入れても、構わない。
家来を得る(犬雉猿以外もあり得る)にせず、
桃から生まれた桃太郎が、
力持ちに育ち、鬼退治に出発したあと、
王国の姫と恋に落ちるがさらわれる、
魔女に出会い変身させられる、
一旦死んで黄泉の世界から甦る、
などの展開があったのち、
鬼ヶ島にたどり着き鬼退治をしても、
なんら問題ない。
ただ、ストーリーとは連関であるから、
王国の姫が鬼退治の鍵だとか、
変身を解く鍵が鬼に関係しているとか
(例えば鬼は全員変身させられた人間だったとか)、
黄泉の世界から持ってきた宝が鬼退治の鍵とか、
鬼退治という解決に、「関係している」ことが必要だ。
これらは、鬼退治という解決が決まっているから出来ることだ。
つまり、逆算なのだ。
頭とケツを暫定的に確定し、
それ合わせで逆算で間を面白おかしくつくるやり方だ。
僕はこっちが得意なのだが、
「間の面白おかしいこと」を先に思いつくのが得意な人もいる。
(たとえば今執筆中の、てんぐ探偵31話妖怪リセットは、これで作っている。
転校生の自己紹介を初日で失敗したため、
その日を何度もループして、自己紹介が成功するまでやり直す、
というのを思いついて、それ合わせで前後をつくった)
間を先に思いついたなら、
その前に問題が起こってその展開になり、
そのあとにどう決着するかを考えられればよいだけだ。
辻褄合わせになりがちなので、
十分練らないとカタルシスまでいかないパターンだとは思う。
手塚治虫のテヅカチャートというのを、
読書猿というサイトで知った。
やり方は簡単で、
ある面白いことを真ん中に書き、
「それ以前に何があってここにたどり着いたのか」と、
「そのあとに何があるのか」を、
思いつくままに沢山書くという。
その中から面白いものを選び、
あるいは候補として複数選び、
またそれらに対して過去と未来を複数考え、
面白いものを選択し、また…を繰り返していくうちに、
面白い連関した話が姿を現してくる、
というやり方だ。
僕は無意識にこのやり方をやっていたが、
無意識に発明してない人は、
このやり方で作ってみるとよい。
(サイトの管理人が作った拡張テヅカチャートは、
複雑すぎるのでダメだと思う。シンプルに過去未来だけで、
訓練した方が応用が効く)
いずれにせよ、
面白い問題の勃発、
その面白い展開、
問題の解決、
のワンセットが揃って、はじめてストーリーだ。
変化で示すテーマ。
主人公(まだディテールは出来てなくてよい)は、
この問題を解決することで、
何を得るのか。
具体的な幸福か、あるいはモノか。
ストーリーの前と後で、違いがあるとしたら何か。
ストーリーとは、主人公と周囲の最終変化を描くことで、
それを間接的にテーマだとする形式だ。
桃太郎は、奪われた財宝を村人に返す。
これは、勧善懲悪を示している。
テーマは直接言ってはいけない。
間接的に示された物語の結末から、
我々が「読み取る」面白さが、ストーリーの面白さだからだ。
それは、ラストの変化で暗示される。
これを出したらこれを暗示する、
という正解のセットはない。
あくまで、これまでのことありきでの、
最後の暗示である。
難しい暗示は危険だ。
分かりやすいのがいい。
力強く分かりやすいものが、最終的に勝利する。
中二病的には分かりにくく選ばれた者だけがたどり着ける高みに、
テーマを置きたくなるのも分かる。
が、その高みに、分かりやすく全員を連れていくのが、
あなたの仕事である。
シンプルにすることがベストではない。
テーマは複雑でもよい。
ただそれが、すっと分かるように作られていれば。
シンプルなテーマは子供/全世代向け、
複雑なテーマは大人向けだ。
もっとも簡単なテーマは、金で買える幸せである。
CMには、それが沢山あふれている。
100円だろうが1000万だろうが、
金を出しさえすれば、
主人公は、問題を解決でき、生活が変化する。
その変化が、そのモノがもたらす幸福だ。
しかしそれは浅い。浅いから15秒や30秒で描ける。
本当の文学は、金で買えない幸せを描くものだ。
(「恋は遠い日の花火ではない。」が、
文学に片足を突っ込んでいるのは、
金で買えない幸せを描いているからだ)
サイバラの「ぼくんち」で、
「金で買える幸せは足が早いでー」と、
博打で必死なオッサンに突っ込む名シーンがある。
幸せと金の関係について慧眼のあるシーンだ。
浅かろうが深かろうが、
シンプルだろうが難しかろうが、
あなたの書く物語は、
ラストに主人公と周りが変化している。
「もとに戻って安心した」という無変化のものさえ、
「日常という幸せをあらためて噛みしめる」というテーマを暗示する。
それが何を暗示するかを、決めることだ。
あるいは、現状が何を暗示してしまっているか、
客観的になることである。
さて、これらのストーリーの初期トライアングルを決めることが、
これからストーリーを書いていく最も基盤になると思う。
次に何をするのか。設定?キャラ?
まだ書きはじめてはいけない。
「練ること」だ。
つづきます。
2015年04月06日
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