「ストーリーを思いついた」とは、
以下の3つの初期トライアングルが揃っていることを言う。
すなわち、ビジュアル、ストーリー、テーマだ。
もう少し詳しく書くと、以下である。
1 ストーリー(の一場面)を示す、面白いビジュアル
2 問題から解決までの一連のストーリー
3 主人公の結末で暗示される、なにかしらのテーマ
思いつきのレベルから、次の段階へ。
それは、各部を詰めて行くことではなく、
「練る」ことである。
練るとはどういうことかというと、
「これが本当に面白いベストか」を問うことだ。
この問いに対して、「たしかに面白い」「しかもベストである」
と答えられる時のみ、次の段階へ進んで良い。
初心者は、「思いついた!」と思ったら、
すぐに書き出してしまう。
それで本当は中途半端なもの(練ったらもっと良くなった原石)を、
「面白い!」と勘違いし、最終的に面白くないと言われて傷つくことになる。
面白い筈なのに、何故分かってもらえないのかと。
それは、あなたの思いつきは素晴らしいのだが、
まだ本当に面白いことには練りきれていないことにある。(こともある)
ベテランはここで粘る。それホンマにおもろいん?と。
練ることは、
それがベストか?と問うことだ。
つまり自分の思いつきが、ちょっと面白くないかもと疑うことだ。
そして最終的に、これより面白いのはない、と確信することだ。
具体的には、
他のことと入れ替えたり、変更したりすると、より良くなるだろか?
を検討することだ。
つまり、最初の思いつきに対して、
さらにひらめきを繰り返し、トーナメントをしながら、
ベストに融合して行くのだ。
(実は、ここに一番時間がかかるのである。
初心者はここを0にすっ飛ばして執筆に入ってしまう。
ここでどれだけ練られたかで、多くの人の批判に耐えられるものに仕上がるというのに)
1 ビジュアル
ビジュアルを全く別のものにすると、良くなるだろうか?
構図を変えてみる。
登場人物を逆にしてみる。
(よく例で出るのは、「犬が人に噛みついても普通だが、
人が犬に噛みつくと面白くなる」である)
上下関係を逆にしてみる。増やす、減らす。
シチュエーションを変えてみる。やることを変えてみる。
やってることの結果を変えてみる。
やってることの原因を変えてみる。
あるいは、「○○風」の絵ヅラを変えてみる。
濃い画面、美しい画面、中世風、SF風、ファンタジック、蜷川実花的世界、
レトロ、カワイイ、ふしぎ、
などなど、どんな絵のトーンかで、
中身が一緒でも随分変わった風になる。
ここの練りが不十分だと、別の世界でやったほうがより良くなったのに、
という不満が残るようになる。
たとえば、ペプシ桃太郎CMは、ビジュアルの練りはすばらしい。
たとえ他のパクリ(イミテイティブ)でオリジナリティーが希薄だったとしても、
全ての要素を検討し尽くした、いい仕事をしている。
(問題は、トライアングルの残り二つが0なことだ)
今ちょうどauでも桃太郎を扱っているから、
そのビジュアルでペプシをやったら、へぼいものになっただろう。
あるいは砂漠(これはターセム系列のパクリ。
やることはプリンスオブペルシャなどのパクリ)でなく、
ロードオブザリングのようなニュージーランドロケ(どろろのパクリ)もあり得た。
しかし植生がアジアとあまりに違うことで、
きっと我々は違和感を覚えただろう。
(ロケの時期がいい季節じゃなかっただけの、結果オーライかもだが)
カンボジアのような森でやっても良かったが、
衣装(ターセムのパクリ。桃太郎のみDQのパクリ)との兼ね合いが悪くなっただろう。
鬼が島へ乗りこむのが夕日の沈むマジックタイムだというのも、いいセンスだ。
(これも色んな海系のもののパクリ。たぶんパイレーツオブカリビアンにあるだろう)
これらのようなビジュアルの計算は、
脚本家には最終イメージはなくとも、
ある程度考えるべきだ。
そのためには、「○○風」の資料を集めると参考になる。
または映画を沢山見て、○○風とか、
写真やファッションやファインアートを見て、○○風と考えるのは、
楽しいことだろう。
そのビジュアルの表すストーリー的な意味、
そのビジュアルのテイスト、
それらが「ベスト」だろうか?
たとえば「ロッキー」がボクシング映画でなく、サッカー映画だったら?
貧乏な暗いトーンではなく、ハッピーなディズニートーンだったら?
勿論それは、トライアングルののこり二つとの兼ね合いになる。
ビジュアルを現代から江戸時代にしたら、
それはまるで違うストーリーやテーマになってしまうかも知れない。
2 ストーリー
結末を変えると、どういう話になるだろう?
テーマと関係してくるだろう。
結末とテーマは連動している。
ハッピーエンドとバッドエンドを入れ替えると、全く別の話になる。
ハッピーエンドの中ですら、
様々な解決があり得る。
それは暗示するテーマを変えるだろう。
ある問題を「このように」解決した、の「このように」の
部分がテーマと関係してくるからだ。
あるいは、ビジュアル的に見事な解決にすることは、
映画を作る上で重要なことだ。
ラストシーンが素晴らしい(美しい、面白い、膝を打つ、胸に迫るなど)映画は、
名画の条件である。
冒頭を変えると、どういう話になるだろう?
その後の展開に影響がある。
結末にまで影響があるかも知れない。テーマに影響するだろう。
あるいは結末を変えるなら、冒頭にまでその変更は波及するだろう。
論文で言えば、前提と結論を変えることに当たるからだ。
そりゃ全部変えなきゃ。
冒頭がいいビジュアルだったら、その冒頭を変更するならば、
それに代わるいいビジュアルを、別の場面で用意することだ。
最初と最後を変えなければ、間は実は、ある程度変えることは可能だ。
間が最もストーリーの中で柔軟な所だ。
それゆえ、これらは最後までフィックスしないことが多い。
ストーリーラインの整理、順番、あるいは場所、伏線、焦点とターニングポイント、
メインとサブプロット。
このようなストーリーテリングの道具を駆使しなければならない、
最も複雑怪奇な部分になる。
しかし初期段階で詰める必要はない。
柔軟ゆえ、冒頭と結末に比べれば、あとあと変更が効くからだ。
展開が変われば、ストーリーの表すテーマも変わる。
あるビジュアルがなくなることもあるし、
ビジュアルの意味が変わって来ることもある。
あるビジュアルを残す為にストーリーを無理矢理変えることもあるだろうが、
それはお勧めしない。
「ストーリーやテーマを表すビジュアル」が、ビジュアルの定義だ。
ビジュアルはストーリーの下位概念である。
ビジュアルありきでは、決して面白い話にならない。
なぜなら、映画は「最終的にストーリーやテーマを楽しむ」もの、
すなわち「物語」であり、写真集ではないからである。
3 テーマ
結末や変化を変えることで、テーマを変更することが出来る。
テーマはテーゼの形で書くと良い。
「AとはBである」の形式だ。名詞体言止めは禁止。
なにかしらの命題、主張になっているとよい。
それは、主人公や周囲の変化によって暗示されるのが、物語という形式だ。
そのテーマの為の暗示がそれでベストか。
そのテーマがベストか。
その為に結末を変えれば、冒頭が変わり、間も変わるだろう。
ビジュアルも変更を受ける筈だ。
テーマから決めなさい、という教科書的な作り方は、
テーマが変わると全部変わるよ、という痛い目に遭わない為の処方箋だ。
しかし、一度その痛い目に遭ってみることも初心者のうちは大事だ。
ケガをしたことないものが、安全運転できる訳がない。
逆に、テーマをどう変えるとどうストーリーが変わり、
どうビジュアルが変わるかを、練ることで体験することは、とてもよいことだ。
これを経験していないと、
この後に来ることをベストに出来ないだろう。
なぜなら、この後に来ることでこのトライアングルを変更すると、
ここまで戻ることになるからである。
ベストだから変更する必要はない。そこまで、練ることである。
それが本当にベストか?
これを問い続けるのは、実は永遠に出来る。
永遠に製作期間があれば、だ。
だから構想10年なんてのが、世の中にはあるのだ。
ある与えられた期間内に、
面白いものを思いつき、ベストの形に練り上げられる人を、プロという。
このあとに何が来るのだろう。
このトライアングルに基づいて、細かいことをつくっていくことだ。
それを述べる前に、
「愚者の改訂」について述べておきたい。
2015年04月06日
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