これはとても難しい問題。
プロでも難しい。
シナリオを書くだけでなく、
オシャレとか、発言とかにも通ずる話。
そもそも、あなたは他人の作品を客観視出来てるか?
自分の、よりも本当はそっちが出来てるかどうか、
なんじゃないか?
作品を客観視するとはどういうことか?
主観を交えずに評価することだ。
それがそもそもちゃんと出来てる?
凄い評論家が凄いと言ったから、
みんな凄いと言ってるから、
人気があるから、
あるいはその逆だから、
それにあなたの評価が左右されてやしないか?
客観視とは、どのような人の主観も入らないことだ。
誰が客観的に見ても、その評価が揺らがないことだ。
歴史的に価値があり、
それが仮にヒットしなかった(商売に結びつかなかった)としても、
素晴らしい作品を、
あなたは素晴らしいと評価出来るか?
そしてその価値を他人に説得出来るか?
それが客観的に評価することだ。
それが出来てる人だけが、
自分の作品を客観視出来る。
それが出来ない人は、
自分の世界に酔い、周りの流行りやムードに流される、
好みか好みじゃないかでしか見ない、
つまりは客観的な評価を出来ない、
「見る目のない人」だ。
あなたは見る目のある人か?
見る目がなけりゃ、客観視もくそもないぜ?
きちんと要素に分解し、
各パーツの機能と関わりを把握し、
それがどういう価値があり、
歴史的文脈と見比べられる人が、
見る目がある人ってこと。
あなたはそもそも他人の作品をそのように客観視してる?
自分の作品を客観視出来てない、
とは、裸の王様のようなことだ。
裸の王様は、不安なのだ。
「俺、服着てるよね?」と。
服を着てると自分で思っている。
それが不安になり、「俺、服着てる?」と聞いてしまう。
それは客観的に見てほしいのではなく、
「服着てる」といってほしいだけなのだ。
裸の王様は、裸だって言われたくない。
この心理に気づけるかどうかが、
自分の作品を客観視出来るかどうかの境目になると思う。
友達や身近な人に聞いたって、
友情の崩壊を普通の人は心配して、
あなたを傷つける人はいないだろう。
本当に重要なのは、
あなたを傷つけるかどうかに関係なく、
あなたが服を着てるかどうか指摘してくれる人なのだが、
人は傷つけられると、その人との付き合いを嫌がるのだ。
そういう訳で、友達や身近な人に評価を聞くことは、
二重の意味で間違っている。
友達や身近な人が、見る目のある人かどうかとは限らず、
友達や身近な人が、あなたとの友情を重視するのか見る目を重視するのか分からない、
という二つの点でだ。
僕は、そういう訳で友達を失っている。
客観的に評価すればするほどだ。
人は、傷つけられることに、あまり慣れていない。
自分が苦労したことは、たとえ間違っているとしても、
正しいと思いたい生き物なのである。
「面白くない」と言われたくないから、
恐いから、客観的評価に近づきたがらない。
それは意識的にでなく、
無意識的にだ。
そのような、主観と客観の関係を知ろう。
知った上で、
この人は主観的にものを言っている、とか、
この人は客観的に評価しようとしている、とか、
私は主観的にものを見ている、とか、
私はここを客観的に見ている、とか、
自覚するといい。
自分の作品を客観視する、という難しさは、
このことに自覚的かどうかなのだ。
プロのプロデューサーや編集者が、
全員見る目があるとは限らない。
客観的評価よりも、「今売れてるのに似てる」、
つまり商売になる、と考えることを優先することがある。
(逆に、客観的な評価が素晴らしくても、
これを売る短期的方法が見つからないからと言って、
世に埋もれる作品も沢山ある。プロデュースとは、
商売だ。その商売の仕方は、その人によって違う)
そもそも他人が裸かどうかを、あなたは見極めてるの?
その人を傷つけずに、裸だと言えるの?
自分が裸だと知ったとき、その恥ずかしさに耐えられるの?
次は服を着てるかどうか、確認できるの?
自分の作品を客観視することは、
とても難しい。
絶対的な客観視は、多分誰にも出来ない。
見る目のある人も、グラデーションがある。
そういうことを知った上で、
他人に意見を求めるならば、
あなたに何らかの益をもたらすだろう。
それを、
「世の中には色々な見方があるから、絶対はない」
なんて考えるのも、只の馬鹿である。
その相対主義は、あなたの作品の評価も、他人の作品の評価も貶めることになる。
正しい姿を誰も見ることが出来ない、
という懐疑主義もある。
そう言う人は、人気者に、カリスマになることに価値を見いだし、
信者が減れば、消えていくだろう。
自分の作品を客観視することは、
とても難しい。
客観視することを分かってないと、出来ない。
(現実的には、一ヶ月や半年、一切見ずに、
再び見てみることである。作ったときの苦悩や喜びが、
リアルに思い出せない時まで待つしかない。
つまり、忘れないと客観視出来ない。
人というのはかくも難しい生き物だ)
2015年04月09日
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