2015年04月13日

逆に、ハッタリを使おう

僕はハッタリが嫌いだ。
中身がないからだ。
しかしハッタリが通用する時のほうが多い。

それは、ヒキが強いからであり、
中身が良くてもヒキが悪いと見てくれないからであり、
中身の分かる目の肥えた人が多くないからだ。

ハッタリはどうやったら出来るのか、
逆にそこを研究してみよう。


ハッタリとは、
「通常を越える圧倒」だ。

何かで圧倒するといい。
そしてそれはとりあえず針子の虎で構わない。

スゲエ強そうな敵。
スゲエ頭の良さそうな奴。
スーパーセレブ。
この場所、すごくいい。
何でも揃った素敵な店。
世界を変えてくれるこのクルマ。
キンキラキンに光輝く未来。

実はなくとも、虚でよい。
実を考えると虚を大きく出来ない。
どんな嘘を大袈裟につくかに注力すること。

そして、嘘をつくときのコツ。
相手が望むことをひとつ入れること。


つまり、相手が望むことに関して、
実際の中身は置いといて、
そのことで圧倒的になりそうなものを、
用意するとよい。

ただの圧倒的でもハッタリが効くが、
中身がないとばれやすい。
相手の願望を読み取り、
その方向のハッタリを増幅するとよい。

相手とは、観客のこともあるし、
金を出すスポンサーのこともあるし、
よく分かっていないプロデューサーやスタッフということもあるだろう。


ハッタリは嘘である。
嘘をつく芸のひとつと思うこと。

この針子の虎が得意なのが、
僕の嫌いな名古屋文化だ。
実質に差がないとすると、
そのハッタリの度合いが、文化的差異だと考えているようである。

我々大阪人は、
そんな包装紙に金をかけず、
中身がしょうもないならその分安くせえや、
という文化である。
包装紙に金がかかってるってことは、
中身がない証拠やな、と解釈する文化でもある。

名古屋ハッタリ文化は、せめて包装紙を立派に、
と考える、田舎の文化だと僕は思う。
中身が悪いとき、
詐欺であることを、
包装紙が良かったからいいでしょう?
と開き直られる気がする。
その包装紙に命をかける文化だとも言えるだろう。

金箔文化、パチンコなどのキラキラ光るもの、
名古屋巻きに代表される髪型の盛り、
あんトーストや味噌トンカツなどの、上に上に被せていくやり方、
これら全てが、
僕は嫌いで、
ということは、逆にハッタリの勉強になるということになる。

出落ち上等。
期待感マックス。
しかもそれが、相手の願望を叶えるっぽいもの(実際には叶えない)。
嘘の多幸感。
○○、登場。

ハッタリの研究は、あなたにテクニックを授けるかも知れない。
人を集めることに、とても役立つかも知れない。

これで多くの人を、一時は騙せるのだからたちが悪い。
園子温?タグボート?ハッタリだけの人生の見本である。
posted by おおおかとしひこ at 21:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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