僕はハッタリが嫌いだ。
中身がないからだ。
しかしハッタリが通用する時のほうが多い。
それは、ヒキが強いからであり、
中身が良くてもヒキが悪いと見てくれないからであり、
中身の分かる目の肥えた人が多くないからだ。
ハッタリはどうやったら出来るのか、
逆にそこを研究してみよう。
ハッタリとは、
「通常を越える圧倒」だ。
何かで圧倒するといい。
そしてそれはとりあえず針子の虎で構わない。
スゲエ強そうな敵。
スゲエ頭の良さそうな奴。
スーパーセレブ。
この場所、すごくいい。
何でも揃った素敵な店。
世界を変えてくれるこのクルマ。
キンキラキンに光輝く未来。
実はなくとも、虚でよい。
実を考えると虚を大きく出来ない。
どんな嘘を大袈裟につくかに注力すること。
そして、嘘をつくときのコツ。
相手が望むことをひとつ入れること。
つまり、相手が望むことに関して、
実際の中身は置いといて、
そのことで圧倒的になりそうなものを、
用意するとよい。
ただの圧倒的でもハッタリが効くが、
中身がないとばれやすい。
相手の願望を読み取り、
その方向のハッタリを増幅するとよい。
相手とは、観客のこともあるし、
金を出すスポンサーのこともあるし、
よく分かっていないプロデューサーやスタッフということもあるだろう。
ハッタリは嘘である。
嘘をつく芸のひとつと思うこと。
この針子の虎が得意なのが、
僕の嫌いな名古屋文化だ。
実質に差がないとすると、
そのハッタリの度合いが、文化的差異だと考えているようである。
我々大阪人は、
そんな包装紙に金をかけず、
中身がしょうもないならその分安くせえや、
という文化である。
包装紙に金がかかってるってことは、
中身がない証拠やな、と解釈する文化でもある。
名古屋ハッタリ文化は、せめて包装紙を立派に、
と考える、田舎の文化だと僕は思う。
中身が悪いとき、
詐欺であることを、
包装紙が良かったからいいでしょう?
と開き直られる気がする。
その包装紙に命をかける文化だとも言えるだろう。
金箔文化、パチンコなどのキラキラ光るもの、
名古屋巻きに代表される髪型の盛り、
あんトーストや味噌トンカツなどの、上に上に被せていくやり方、
これら全てが、
僕は嫌いで、
ということは、逆にハッタリの勉強になるということになる。
出落ち上等。
期待感マックス。
しかもそれが、相手の願望を叶えるっぽいもの(実際には叶えない)。
嘘の多幸感。
○○、登場。
ハッタリの研究は、あなたにテクニックを授けるかも知れない。
人を集めることに、とても役立つかも知れない。
これで多くの人を、一時は騙せるのだからたちが悪い。
園子温?タグボート?ハッタリだけの人生の見本である。
2015年04月13日
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