同調、共感、感情移入を分けて考えよう。
同調は、その人の感情や、行動に、自分がシンクロしていること。
これは条件反射を含む。
例えば大きな演劇場などで、
多くの観客が拍手をする場面を考えよう。
最初バラバラの音だった拍手が、
段々手拍子が揃っていく瞬間に立ち会ったことはあるだろうか。
これはなぜ起こるかというと、
我々の反射だと思う。
群れとして生きる動物の、DNAかどこかに入っている機能だ。
祭りの一体感や高揚感は、この全員が同調する気持ちよさにある。
全体主義はこうやって起こる。
全体主義は気持ちいい。それは我々は群れとして生きる動物だからだ。
渋谷で日本サッカー戦後大騒ぎが起こるのも、全体主義だ。
頑張れニッポンも全体主義だ。
全体主義は気持ちいい。
それは高揚感を伴う。理由はない。DNAといったのはそういうことだ。
全体主義は個が消える。
個々の憂いや心配事はとりあえず忘れる。
全体の喜びが個々の喜びになる。
全体主義は、
上手く使えば個々の幸せに還元される共同体をつくれるし、
(原始共同体や、ある種の新興宗教)
悪く利用すればナチズムにもなる。
自分個人の為に全体主義を利用する者を支配者といい、
それは普通悪のことである。
僕は幼稚園の頃、お遊戯を絶対しない子供だった。
音楽に合わせて動きを強制されることに、恐怖を感じた。
もっというと、それが楽しいから、という全体主義に恐怖を感じた。
もっというと、それで個々の個性を消していることに、恐怖を感じた。
その思考停止に誰も気づいてないことに、恐怖を感じた。
(実はこのへんは心の闇のネタだと思っているのだが、
まだ上手く話に結び付かない。妖怪「同調圧力」?)
同調のメリットより、デメリットを感じ取っていた子供だったのだろう。
同じ理由で、僕は全社忘年会に一度も出たことがない。
同調の拒否を排斥するのが、いじめである。
(妖怪「なかまはずれ」ではそこまで描けなかったが、
このテーマは八集、妖怪「スケープゴート」で書くつもりだ)
大分脱線してしまったが、
同調は、反射で起こる。
特に理由がなくても起こすことができる。
前記事で挙げたように、
動物的なことは、同調を促しやすい。
リズム的なもの(例えば拍手。ラッスンゴレライもそう)、
音楽的なもの、
食べ物を食べる、
セックスなどだ。
(三大欲のひとつ、睡眠欲は映画では描かれない。
寝ちゃうからね!「ツリーオブライフ」は人類初の睡眠欲を描いた映画だ、
という高度な批評でもしてみるか)
何故AVを見るとき、男優の射精の瞬間に我々の射精の瞬間を合わせるのか。
そうすると気持ちいいからである。
(そうしないと気持ち悪いからでもある)
それは、同調である。手拍子と同じだ。
音楽PVでは、リズムに合わせたカット割は基本だ。
それは、リズムに同調することが気持ちいいからだ。
同調のうち、
感情に同調することを、感情移入と言うのだろうか。
まだ足りない。
感情移入は、更に深い感情だ。
泣いてる人を見て悲しくなったり、
嬉しそうな人を見て嬉しい気分になったりするのは、
単発の感情の同調であり、感情移入ではない。
(多くのダメCMはこの段階で止まっている)
感情移入とは、点でなく線である。
むしろ線以上の全体だ。
その人に感情移入すると、
その人の全てと自分の全てが同一になるのだ。
点の同調以上の、
完全シンクロが、感情移入だ。
共感と同調は似ている。
共感は、相手に、自分の中と似たものを見つけると起こる。
あるあるの感情だ。
逆に、共感は自分の狭い範囲の知識でしか起こらない。
相手に起こる様々なことに入るのではなく、
自分にもそういう部分がある、という、
自分側の感情のことである。
原因が違うが、
結果的に、自分と相手が同調しているように見える。
同調や感情移入は、自分を相手に合わせることだが、
共感は自分を変形させない。
(勿論、共感することで心がひらき、
自分の変形の警戒を解くことは、よくある)
感情移入は高度な同調だ。
それを成し遂げることが、物語の理想であり愉しみだ。
これについて、次回もう少し詳しく掘ってゆく。
初心者向けの話をしようと思ってたら、
ものすごく深いところに来てしまいました。
感情移入について、さらに深みへいきます。
2015年04月14日
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