2015年04月14日

同調すること4:感情移入

深い同調が感情移入である、という単純な理解でよいか?

感情移入を邪魔する要素から考えよう。


無理のあるもの、不自然なもの、
リアリティーのないもの、
強引なもの、滑ってるもの、
普通そうしたらそうしないもの。


感情移入は、自然に起こる。
逆に、不自然なものには起こらない。

ごり押しキャスティングは不自然だ。
だから、感情移入は起こらない。
起こるのは、違和感だけだ。

大袈裟な演技には感情移入は起こらない。
起こるのはシラケだ。

何でこの人これをするの?とか、
これをするならああしたほうがいいのに、とかの、
展開がイマイチなものは感情移入は起こらない。
疑問が先に来てしまう。
疑問ならまだましだ。
むしろ、不信である。

整形した芸能人は、それがばれたら不信になる。
そこに感情移入は起こらない。
整形してでも頑張っている、という同調は起こらず、
痛々しいという同調が先に起こる。

とんでもないシチュエーションや、
物凄い期待感でひきつけたあとに、
それが矛盾があったり、
すぐ抜け道があったりすると、
感情移入は起こらない。
シラケや不信が起こる。


同調出来ない強引さには、感情移入出来ない。
ネットでネタにされる漫画「オレもチムチムドンドンしたい」は、
全く強引な感情に同調させようとする、悪意すら感じる。
(そこがネタになるのだが)


ほらここで泣いてくださいとか、
笑ってくださいなんてのは、三流だ。
泣くのを我慢しても、
笑うのを我慢しても、
泣いたり笑ったりしてしまうのが一流のつくるものだ。


同調は同意である。
同意がないと起こらない。

「それ変」とか、「おかしい」とか、「強引」とかには起こらない。
「なるほど」とか、「確かに」とか、「ああ!」とかに起こる。
説得力のないものには起こらず、
説得力のあるものに起こる。



つまり。
感情移入とは、信用して同調することである。

この主人公に、全面的に同調してもいい、
と信用したときに起こる。


女が男に体を預けるかどうかを、しばらく見極めるのと同じだ。
「この主人公に同調しても大丈夫かどうか」なのだ。

だから、完全なる悪者には感情移入出来ない。
(ダークナイトでのジョーカー)
そこに一分の理があれば、感情移入出来る。
(ティムバートン版でのジョーカー)

ブレイクシュナイダーの「save the catの法則」は、
これを経験的に述べたものだと思う。


信用できない奴と、どこか人間的に理解出来る奴の差だ。
モテる奴は、(実質はおいといて)信用されるのが上手いのだ。

あなたがモテる人かモテない人かは関係ない。
信用される人かされない人かも関係ない。

主人公(やその他の人)が、信用できるかどうかなのだ。


感情移入の序盤は、実はここで決まっている。

ぎりぎりの所でも俺たちの期待(=この話が面白くなること)から逃げず、
ケツを持ってくれるかどうか、
その人間性を観客は見ているのだ。

だから、一瞬で感情移入するというのは嘘だ。
それはきっと単なる同調か共感だ。

逆に同調や共感は、感情移入していると錯覚させる為の、
有効な武器である。

感情移入には時間がかかる。
それは、人を見て信用するのに、ある程度時間がかかるのと同じである。

ものにもよるけど、僕は一時間ぐらいかかるんじゃないかと思う。
だから一時間以内の映像は、感情移入を必要としないと思う。
(シリーズなら、一時間あたりの所で信用するべきかどうか決まる。
60分ものなら二話の途中、30分ものなら二話終わりか三話で)
一時間以内なら、同調や共感や興味だけで、引っ張れるような気がする。
そして今の60分ドラマはそういう設計でつくっていて、惨憺たる出来になっている。

その一時間を越えたとき、信用が起こって、
感情移入が起こるような気がしている。
あくまで経験則だけど。


それまでに、主人公は丸裸になる必要がある。

その考えや感情は、嘘でない丸裸の真実を晒す必要がある。
展開や行動は、信用に足るものである必要がある。
(何もしない主人公は信用されない。
自ら泥を被る主人公は信用されやすい)


例えば俺ツエーの主人公は、感情移入に値しない。
同調の対象ではあるが、
その凄い力の使い方が余程信用に足るものでない限り、感情移入されないだろう。
(よくあるのは、この力は正義以外に使わない、などだ)

僕はいまだにうんこドラマ「サムライコード」を批判している。
それは俺ツエーの同調だけをやりたがり、
感情移入に必要な、信用がなかったからだ。
そしてそれは、素人(T社か広告代理店のどちらか、あるいは両方)
によって作られたからだ。
物語でないものを、物語のふりをしたからだ。無理解という愚かさによって。



同調、共感は感情移入の一部、部分集合である。
感情移入とは、もっと全面的なものだ。

人間の深いところに接触しないと、ダメだ。
嘘をついてればすぐにばれる。
(たとえば弱点や秘密を晒すのは、代表的な信用される手法だ)


どういう人間が信用されるかは、
一時間見ていれば分かる。
映画は、
前半一時間は、主人公を信用するまでの時間であり、
そこまでは面白おかしいことで引き付けながらも、
信用に足るものを見せなければならない。

逆に後半一時間は、信用したその主人公と一体になり、
困難を克服するのである。
だからカタルシスがあるのだ。


感情移入はとても深い同調だ。信用した上での、全面的同調だ。
posted by おおおかとしひこ at 17:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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