深い同調が感情移入である、という単純な理解でよいか?
感情移入を邪魔する要素から考えよう。
無理のあるもの、不自然なもの、
リアリティーのないもの、
強引なもの、滑ってるもの、
普通そうしたらそうしないもの。
感情移入は、自然に起こる。
逆に、不自然なものには起こらない。
ごり押しキャスティングは不自然だ。
だから、感情移入は起こらない。
起こるのは、違和感だけだ。
大袈裟な演技には感情移入は起こらない。
起こるのはシラケだ。
何でこの人これをするの?とか、
これをするならああしたほうがいいのに、とかの、
展開がイマイチなものは感情移入は起こらない。
疑問が先に来てしまう。
疑問ならまだましだ。
むしろ、不信である。
整形した芸能人は、それがばれたら不信になる。
そこに感情移入は起こらない。
整形してでも頑張っている、という同調は起こらず、
痛々しいという同調が先に起こる。
とんでもないシチュエーションや、
物凄い期待感でひきつけたあとに、
それが矛盾があったり、
すぐ抜け道があったりすると、
感情移入は起こらない。
シラケや不信が起こる。
同調出来ない強引さには、感情移入出来ない。
ネットでネタにされる漫画「オレもチムチムドンドンしたい」は、
全く強引な感情に同調させようとする、悪意すら感じる。
(そこがネタになるのだが)
ほらここで泣いてくださいとか、
笑ってくださいなんてのは、三流だ。
泣くのを我慢しても、
笑うのを我慢しても、
泣いたり笑ったりしてしまうのが一流のつくるものだ。
同調は同意である。
同意がないと起こらない。
「それ変」とか、「おかしい」とか、「強引」とかには起こらない。
「なるほど」とか、「確かに」とか、「ああ!」とかに起こる。
説得力のないものには起こらず、
説得力のあるものに起こる。
つまり。
感情移入とは、信用して同調することである。
この主人公に、全面的に同調してもいい、
と信用したときに起こる。
女が男に体を預けるかどうかを、しばらく見極めるのと同じだ。
「この主人公に同調しても大丈夫かどうか」なのだ。
だから、完全なる悪者には感情移入出来ない。
(ダークナイトでのジョーカー)
そこに一分の理があれば、感情移入出来る。
(ティムバートン版でのジョーカー)
ブレイクシュナイダーの「save the catの法則」は、
これを経験的に述べたものだと思う。
信用できない奴と、どこか人間的に理解出来る奴の差だ。
モテる奴は、(実質はおいといて)信用されるのが上手いのだ。
あなたがモテる人かモテない人かは関係ない。
信用される人かされない人かも関係ない。
主人公(やその他の人)が、信用できるかどうかなのだ。
感情移入の序盤は、実はここで決まっている。
ぎりぎりの所でも俺たちの期待(=この話が面白くなること)から逃げず、
ケツを持ってくれるかどうか、
その人間性を観客は見ているのだ。
だから、一瞬で感情移入するというのは嘘だ。
それはきっと単なる同調か共感だ。
逆に同調や共感は、感情移入していると錯覚させる為の、
有効な武器である。
感情移入には時間がかかる。
それは、人を見て信用するのに、ある程度時間がかかるのと同じである。
ものにもよるけど、僕は一時間ぐらいかかるんじゃないかと思う。
だから一時間以内の映像は、感情移入を必要としないと思う。
(シリーズなら、一時間あたりの所で信用するべきかどうか決まる。
60分ものなら二話の途中、30分ものなら二話終わりか三話で)
一時間以内なら、同調や共感や興味だけで、引っ張れるような気がする。
そして今の60分ドラマはそういう設計でつくっていて、惨憺たる出来になっている。
その一時間を越えたとき、信用が起こって、
感情移入が起こるような気がしている。
あくまで経験則だけど。
それまでに、主人公は丸裸になる必要がある。
その考えや感情は、嘘でない丸裸の真実を晒す必要がある。
展開や行動は、信用に足るものである必要がある。
(何もしない主人公は信用されない。
自ら泥を被る主人公は信用されやすい)
例えば俺ツエーの主人公は、感情移入に値しない。
同調の対象ではあるが、
その凄い力の使い方が余程信用に足るものでない限り、感情移入されないだろう。
(よくあるのは、この力は正義以外に使わない、などだ)
僕はいまだにうんこドラマ「サムライコード」を批判している。
それは俺ツエーの同調だけをやりたがり、
感情移入に必要な、信用がなかったからだ。
そしてそれは、素人(T社か広告代理店のどちらか、あるいは両方)
によって作られたからだ。
物語でないものを、物語のふりをしたからだ。無理解という愚かさによって。
同調、共感は感情移入の一部、部分集合である。
感情移入とは、もっと全面的なものだ。
人間の深いところに接触しないと、ダメだ。
嘘をついてればすぐにばれる。
(たとえば弱点や秘密を晒すのは、代表的な信用される手法だ)
どういう人間が信用されるかは、
一時間見ていれば分かる。
映画は、
前半一時間は、主人公を信用するまでの時間であり、
そこまでは面白おかしいことで引き付けながらも、
信用に足るものを見せなければならない。
逆に後半一時間は、信用したその主人公と一体になり、
困難を克服するのである。
だからカタルシスがあるのだ。
感情移入はとても深い同調だ。信用した上での、全面的同調だ。
2015年04月14日
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