よく音楽ものとかである。
「この人ピアノ弾いてない」とかね。
僕は武術に詳しいから、
「この人は経験者だ」というのは、
数手見れば分かる。
こういうリアリティーが弱いと、感情移入は削がれやすい。
なんだ嘘じゃんと。
しかし、俳優をそこまでトレーニングするのは費用的に困難だ。
(ハリウッドなら三ヶ月スケジュールキープして、
専門のトレーニングをさせることはある。
日本だと、三ヶ月の営業保証金とか言われる。
日米の俳優の実力の差は、こういうところで開いていく)
問題はなんだ。「ピアノを弾く」や「武術」にリアリティーを求めることだ。
「ピアノを弾いてないとき」「戦ってないとき」の、
リアリティーを描くとよいのだ。
それが、人間のリアリティーというものだ。
ピアニストがピアノを弾いてない時間のこと。
格闘家が戦ってない時間のこと。
サッカー試合の中の、ボールに触れてない時間のこと。
(この言葉は38話妖怪リスクでも書いたけど)
警察官が取り調べをしていないとき。
映画やドラマでの、
ハイライト以外の時間を想像しよう。
ハイライトの当たる部分は、
実は見世物に当たる部分である。
美しくリアリティー溢れるショウの部分だ。
脚本家は、そこが詰まらなくても、
「面白い話だった」と呼ばれるものを書く必要がある。
ドラマは、ハイライトの当たらない部分にある。
勿論、それには膨大な取材が必要だ。
ピアニストがピアノを離れたとき、
飯はどんなんか、いつも姿勢がいいのか、とか、
我々には想像もできないリアリティーがあるだろう。
例えば、相撲取りは、
待ち合わせしたり暇な時立ち木があると、
ついつい鉄砲(ツッパリを柱に向かってする)を何気なくしてしまう、
というリアリティーがある。
(バラエティーで検証動画を見たことがある)
ゴルフをやってるおじさんが、
傘を持つとスイングしたくなるようなものだろう。
ピアニストがパソコンのキーボードを打つときどうするんだろ。
ペダル探したりしてね。
そういう身体的リアリティーの小ネタだけでなく、
もっと精神的な考え方や生き方について、
取材するといい。
ハイライトの当たらないところで、
その人はどういう生き方をしてるのか。
取材すればするほど、様々な人に話を聞くほど、
その人は特別な人ではなく、
我々と全く同じ人間であることがわかる。
ただギフトがあって、それを真摯に伸ばしたり、
ギフトがなくても、ある思いでずっとそれをしていたり。
あるいは、それしか出来ないから、それをしている人もいる。
映画は人生を描くのだとしたら、
ハイライトの当たらない、膨大な時間が人生だ。
人の心に染み入る何かは、
ピアノを弾く瞬間や、
バトルの瞬間にはない。
そうじゃない時間帯にある。
あなたが描きたい瞬間や、人が見たい瞬間は、
おそらくハイライトに属する部分だ。
そこにリアリティーがあるほうが望ましい。
実写風魔だって、アクションは本物だった。
そこに説得力があるから、燃えられた。
ハイライトはつまり、燃えるか燃えないかに過ぎない。
ハイライトが当たってないところに、
その燃料がある。
そっちのリアリティーのほうがよっぽど大事だ。
それは、例えば特撮ものやアクションもので、
特撮パートとドラマパートを分けたり、
アクションパートとドラマパートを分けたりすることに似ているかも知れない。
特撮だけを見る、アクションだけを見るのなら、
そこだけ切り取って見ればいい。
(現にそこだけ切り取ってYouTubeに上げる奴もいる)
それは単なる見世物パートで、ハイライトだ。
それ以外のドラマパートに、リアリティーがあるべきなのだ。
るろうに剣心を思いだそう。
アクションは凄かったが、ドラマはうんこだった。
ドラマが面白くてアクションがそこそこの、
風魔とどっちが上か。
予算と時間は桁が違う。風魔が何十本も作れる予算だ。
でも僕は、風魔のほうが面白いと思う。
それは、ハイライト以外のリアリティーの差だ。
忍者のリアリティー?サイキッカーのリアリティー?
そこじゃないよね。
「冷徹な仕事に、情を通す」というドラマ性が、
面白かったんだ。
そこが、忍者のリアリティーでもあり、
僕ら忍者以外の人間のリアリティーでもあった。
そこに、僕らはリアリティーのある共鳴をしたはずだ。
「踊る大捜査線」だってそうだろう。
警察官のリアリティー(ぽい)日常生活が、
我々の触れている会社生活のリアリティーと案外近いという発見が、
面白かった筈だ。
逆に、ハイライトのリアリティーしか問題にされないのは、
ハイライト以外が詰まらなかったことの証拠ではないだろうか。
かつて僕は、クライマックスはじゃんけんで決着がついてもいい、
と極論をした。
そこに至るまでのドラマが面白くてリアリティーがあれば、
ハイライトは何だっていいのだ。
ハイライト以外の部分の所が、
実は脚本家の勝負ポイントなのだ。
2015年04月21日
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