2015年04月21日

リアリティーの範囲

よく音楽ものとかである。
「この人ピアノ弾いてない」とかね。
僕は武術に詳しいから、
「この人は経験者だ」というのは、
数手見れば分かる。

こういうリアリティーが弱いと、感情移入は削がれやすい。
なんだ嘘じゃんと。
しかし、俳優をそこまでトレーニングするのは費用的に困難だ。
(ハリウッドなら三ヶ月スケジュールキープして、
専門のトレーニングをさせることはある。
日本だと、三ヶ月の営業保証金とか言われる。
日米の俳優の実力の差は、こういうところで開いていく)

問題はなんだ。「ピアノを弾く」や「武術」にリアリティーを求めることだ。

「ピアノを弾いてないとき」「戦ってないとき」の、
リアリティーを描くとよいのだ。
それが、人間のリアリティーというものだ。


ピアニストがピアノを弾いてない時間のこと。
格闘家が戦ってない時間のこと。
サッカー試合の中の、ボールに触れてない時間のこと。
(この言葉は38話妖怪リスクでも書いたけど)
警察官が取り調べをしていないとき。

映画やドラマでの、
ハイライト以外の時間を想像しよう。


ハイライトの当たる部分は、
実は見世物に当たる部分である。
美しくリアリティー溢れるショウの部分だ。
脚本家は、そこが詰まらなくても、
「面白い話だった」と呼ばれるものを書く必要がある。

ドラマは、ハイライトの当たらない部分にある。


勿論、それには膨大な取材が必要だ。
ピアニストがピアノを離れたとき、
飯はどんなんか、いつも姿勢がいいのか、とか、
我々には想像もできないリアリティーがあるだろう。

例えば、相撲取りは、
待ち合わせしたり暇な時立ち木があると、
ついつい鉄砲(ツッパリを柱に向かってする)を何気なくしてしまう、
というリアリティーがある。
(バラエティーで検証動画を見たことがある)
ゴルフをやってるおじさんが、
傘を持つとスイングしたくなるようなものだろう。

ピアニストがパソコンのキーボードを打つときどうするんだろ。
ペダル探したりしてね。

そういう身体的リアリティーの小ネタだけでなく、
もっと精神的な考え方や生き方について、
取材するといい。

ハイライトの当たらないところで、
その人はどういう生き方をしてるのか。

取材すればするほど、様々な人に話を聞くほど、
その人は特別な人ではなく、
我々と全く同じ人間であることがわかる。
ただギフトがあって、それを真摯に伸ばしたり、
ギフトがなくても、ある思いでずっとそれをしていたり。
あるいは、それしか出来ないから、それをしている人もいる。

映画は人生を描くのだとしたら、
ハイライトの当たらない、膨大な時間が人生だ。

人の心に染み入る何かは、
ピアノを弾く瞬間や、
バトルの瞬間にはない。
そうじゃない時間帯にある。

あなたが描きたい瞬間や、人が見たい瞬間は、
おそらくハイライトに属する部分だ。
そこにリアリティーがあるほうが望ましい。
実写風魔だって、アクションは本物だった。
そこに説得力があるから、燃えられた。
ハイライトはつまり、燃えるか燃えないかに過ぎない。

ハイライトが当たってないところに、
その燃料がある。
そっちのリアリティーのほうがよっぽど大事だ。


それは、例えば特撮ものやアクションもので、
特撮パートとドラマパートを分けたり、
アクションパートとドラマパートを分けたりすることに似ているかも知れない。

特撮だけを見る、アクションだけを見るのなら、
そこだけ切り取って見ればいい。
(現にそこだけ切り取ってYouTubeに上げる奴もいる)
それは単なる見世物パートで、ハイライトだ。

それ以外のドラマパートに、リアリティーがあるべきなのだ。

るろうに剣心を思いだそう。
アクションは凄かったが、ドラマはうんこだった。
ドラマが面白くてアクションがそこそこの、
風魔とどっちが上か。
予算と時間は桁が違う。風魔が何十本も作れる予算だ。
でも僕は、風魔のほうが面白いと思う。
それは、ハイライト以外のリアリティーの差だ。

忍者のリアリティー?サイキッカーのリアリティー?
そこじゃないよね。
「冷徹な仕事に、情を通す」というドラマ性が、
面白かったんだ。

そこが、忍者のリアリティーでもあり、
僕ら忍者以外の人間のリアリティーでもあった。

そこに、僕らはリアリティーのある共鳴をしたはずだ。


「踊る大捜査線」だってそうだろう。
警察官のリアリティー(ぽい)日常生活が、
我々の触れている会社生活のリアリティーと案外近いという発見が、
面白かった筈だ。


逆に、ハイライトのリアリティーしか問題にされないのは、
ハイライト以外が詰まらなかったことの証拠ではないだろうか。

かつて僕は、クライマックスはじゃんけんで決着がついてもいい、
と極論をした。
そこに至るまでのドラマが面白くてリアリティーがあれば、
ハイライトは何だっていいのだ。

ハイライト以外の部分の所が、
実は脚本家の勝負ポイントなのだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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