観客として見ているときには、これを無意識にしているはずだ。
何かを期待して見ること。
具体的なものがあるときもある(予告などで一瞬見ている)。
詳しくは知らないが、何となくの情報もある。
序盤や中盤で、これから期待することもなんとなくある。
これらに見事答えてくれる、
あるいは予想の更に上を行ってくれるとき、
スタンディングオベーションになると思う。
これを、自分の作品でやることが難しい。
結局、何度も観客になり、
観客として、色々なところに期待するしかない。
そして、作品がそれに見事答えてくれるかどうかを、
逐一チェックするしかない。
「期待する」というシミュレーションは、
何回も出来ない。
知らないこと前提で作品を最初から見ることは、
一回書いたあと大分あいて、
ディテールを忘れてしまっているときしか出来ない。
(しかも最初の一回きりだ。
僕がリライト時にこの感覚を維持せよと、大事にするのは、
これが一回しかないからだ)
これから何が起こるか知らない前提で、
どういう期待をするだろう、
ということは、理性ではシミュレーション可能だが、
感情のレベルでとらえることはとても難しい。
期待をさせているか。
どういう期待か。
それに答えているか。
しかも上回っているか。
恐らく、リライト時に一番見えなくなるのが、
この初見の感情だ。
これを見失うと、多分リライトは失敗だ。
それは、初見の同調のプロセスだからだ。
2015年04月21日
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