2015年04月24日

ビート

ストーリーの単位として、
たまにハリウッドの脚本理論に出てくる言葉。

僕もよく分かってないけど、
何となく、段取りとかステップとかで、
示される言葉だと思う。


「電車に乗る」という動作のビート。

1 駅にいく。
2 目的地までの切符を買う。
3 改札を通る。
4 ホームで待つ。
5 電車が来て、乗る。

例えばこの5つのビートからなるとしよう。
これは、3ビートに書き直すこともできる。

2 目的地までの切符を買う。
4 ホームで待つ。
5 電車が来て、乗る。

などだ。1→2→5でもいいだろう。

あるいは、2のビートを更に増やし、
2-1 路線図を確認する。
2-2 財布を出す。
2-3 金を入れ、ボタンを押す。
2-4 切符を取り、お釣りを財布に入れる。
2-5 財布をしまう。

にして、計9ビートに増やしてもいい。


つまり、あるひとつのことを映像で示すのに、
1ステップ(5だけ)で描いてもよいし、
3でも5でも9でも、100で描いてもよい。

いくらでも細分化出来るし、いくらでも省略できる。
何ビートに分けるかは、
あなたのセンスと文脈次第だ。

例えばストーリー進行があまり重要でないコメディなら、
電車に乗る、というひとつの行動を9ビートに分け、
毎ビートにギャグを入れ込むことが可能だろう。

4ビートにするなら、
分かりやすいビートを選んで並べるべきだ。

テンポを上げるなら1ビートで描くとよい。
0ビート(その場面はストーリー進行に不要)という考え方まである。


何が起きるかを決めることは作劇の上で重要なことだが、
その起きることを何ビートで描くかも、
作劇の上で重要なことだ。

ラブストーリーでは、「告白して付き合う」までを100ビートぐらいで描くだろうし、
スパイ映画なら数ビートかも知れない。
その中でも後々その女スパイが人質になり、
主人公の苦悩の種になるのなら、ビート数は多目に描かれるだろう。


さて、ここで問題は、
ひとつのビートは、ひとつの面白さを持っていなければならないということだ。

「切符を買う」のにひとつの面白さでいいのなら1ビートでいいし、
(例:偶然同時にボタンに触れた男女が恋をする)

それを5ビートに分けるなら、5回面白いことが起こるべきだ。
(例:路線図のどこに目的地があるのか分からず、
後ろに並んでいたかわいい子に聞く。
財布を出すが、彼女が持っていた財布と同じやつ。
金を入れてボタンを押そうとして彼女にまた聞き、
彼女がボタンを押すのと同タイミングで押してしまう。
切符を取り忘れる。
財布もしまい忘れる。しかし恋が生まれる、など)

1ビートで描くのか、5ビートで描くのかは、
自分の実力とも相談だ。

ビートを増やすほど、
きめ細かく面白いが、
話の進行は遅くなる。
ビートを減らすほどその逆だ。


あるストーリーをどんなビートで描くかは、
テンポやスピードやきめ細かさやダイナミズムに関係する。

軽くストーリーのビートを書き出してみると、
ストーリー上の具体的な行動
(ときに財布を出すレベルの小さなアクション)が、
リストアップできるだろう。
それらを頭の中や紙の上で編集しながら、
ひとつの「ビートの組み合わせ」に至ることが、
実際の執筆には必要だ。
posted by おおおかとしひこ at 02:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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