どこから、どこまでを、何ビートで描くか。
実はこれがお話をどう書くかを決める、
設計の骨格になる。
「朝起きてから会社に到着するまで」を、
映画にすることは可能だ。
この間を何ビートにも刻んで、
それぞれのビートで起こる、
面白い事件を一つ一つ創作し、
それらが繋がった一連の話になるように創作するとよい。
逆に、「宇宙人が襲ってきて撃退するまで」を描く話では、
「主人公が朝起きてから会社に到着する」までは、
1ビート程度でしか描かれることはないだろう。
例えば「満員電車の中からUFOを目撃する、最初の人間になる」などの形だろう。
前記事の例の、
「電車に乗るまで9ビートかける」ようなことは、
ID4のような宇宙人撃退ストーリーの全体の中で意味がなさそうだ。
だが、「同じボタンを押して恋する彼女」が、
既に侵略を開始した、宇宙人の化けた人間だったとしたら、
この9ビートは忘れられない重要な瞬間になる。
この段取りの為に、
Suicaが切れていて、切符を買おうと券売機に並ぶ、
というビートすら追加してもよいだろう。
ビートを決めることは、
つまり、現実にある段取りやステップを、
どうお話に切り取って利用するか、
ということを意味する。
例えば。
「誰かに会いに行く」というビートは、
以前に議論した「展開」の典型のひとつだ。
これを、
「彼に会いに行かなくては」と誰かが言う
→次のシーンで彼と同じテーブルについている
と描けば1ビートの展開である。
ここを10ビートに分けることも可能だろう。
間に電車に乗ったり宇宙人と出会ったりすればいいからだ。
勿論とんでもなく面白いことが起こっても構わない。
下手な人は、
10ビートに分けようと思ったら、
ただの10ステップを書いてしまう。
外に出る→駅にいく→彼に電話してアポを取る→電車に乗る
→駅につく→手土産のケーキを買う→会社に電話して彼の家につきますと報告
→彼の家の扉をノック→やあと彼が迎えに出る
などだ。
ここでは何一つ面白いことが起こっていない。
従って、「彼に会う」という1ビートを、
だらだらと書いただけでしかない。
従ってこの10ステップは編集でカット出来る。
当然、脚本上でもカット出来る。
10ビートに分けるなら、10個の面白いことが起こらなければならない。
例えば彼女に化けた宇宙人と恋に落ち、
彼に会うと聞いて、ついてくるまでを描く、
などだ。
そうすると、彼に会う1ビートの話が、
10ビート分複雑になって面白くなってくるのだ。
面白いことに面白いことを、こうやって重ねていくのである。
「彼に会う」話がそもそも面白くなくても、
その間のビートで面白いことが増えれば、
面白い方向へ話を動かすことが出来るのだ。
あるいは、面白くないビートを、
この考え方でカットすることも出来る。
宇宙人の彼女と恋に落ちる10ビートがあまり面白くない、
と客観的に判断できたら、
彼に会うことになる→彼と同じテーブルについている、
という1ビートに戻し、
そのテーブルに既に彼女が座っていればいい。
「駅で出会った○○さん」と紹介すれば、
すんなり話に溶け込むかもしれないし、
彼女の存在自体を全カットしてもいいかも知れない。
ビートの設計は、
面白さをどういう段取りで見せるか、
ということだ。
現実を膨らませて利用してもいいし、
現実を省略して利用してもいい。
それは、どこでどう面白いことが起きてるかに関係がある。
その話は何ビートで描くと面白いのか、
それを事前に設計し、実際に書き、
それらをあとで整える、
ということが、実際の執筆でよくあることだ。
バードマンのワンカット技法は、
ワンカットでは「隣の店にいく」などのビートが、
話に必要なくてもカット出来なかったことによる、
詰まらないパートの存在が欠点だ。
だから、そのビートでも面白いことを起こそうとして、
例えばウィスキーを買うくだりで失敗している。
編集をすることが出来る、通常の映画では、
あとでビートをカットすることが出来るが、
この映画ではそれが出来なかった。
ビートをコントロールすることが、
あなたの話の骨格をコントロールすることだと思う。
それは、何を語るのか、あなたの話次第である。
掘って面白くなる所はビートを増やし、
贅肉になってる所はビートを減らし、
全体を見てそれらを整えるという工程が、
プロットを練るということだ。
(この為にカードによる並び替えを使うことが多い。
つまり、カードは増えたり減ったりする。
しかし分数、カードの数は一定である。
どれを残してどれを切るか、どこを増やしてどこを減らしてバランス良くするかに、
カードのメソッドは有用だ)
2015年04月24日
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