2015年04月24日

企画書と中身の落差

相変わらずドラえもんを例にしてみよう。


ドラえもんの中身の面白さは、
人間の弱さによる自業自得だ。

たとえ便利な道具を使っても、
人間の弱さによって、それを間違った使い方をし、
自業自得でひどい目に会うことだ。

それを、小学生のギャグ世界でやることで、
誰にでも理解できる教訓話になる。
未来の先祖から派遣されたはずの未来型ロボットが、
秘密道具で活躍するはずが、
人間の弱さによって、自業自得に協力してしまう、
逆説的皮肉である。
それをギャグの皮を被っているところが慧眼だ。


ところが、
ドラえもん第一回の有名な予告を見たことがあるだろうか。
「机の引き出しから出てきたものは…?」
というものだった。
青い猫型ロボット、というのもなかったかもだ。
自業自得や因果応報や未来から来た先祖の派遣とか、
本質に関係あるものはまるで描かれていない。

つまり、ガワのディテールなのだ。


企画書や予告は、このように、
話の本質を書かない。

優れた広告は、このように中身に踏み込まない。
踏み込まずに、面白いことをする。

だから、企画書や予告に、詐欺が横行する。



企画書と中身は、違うべきだ。
本当に違うのが詐欺で、
正しく違うのが理想だ。

ドラえもんの中身と予告の関係は、
それを考えさせる。


どう正しく違うべきかについては、
これまでに議論した中にあると思う。

企画書で突破し、中身で唸らせるのが、理想だ。
でも中身を書くまで、脚本家は普通中身のことを考えているものだ。
posted by おおおかとしひこ at 15:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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