相変わらずドラえもんを例にしてみよう。
ドラえもんの中身の面白さは、
人間の弱さによる自業自得だ。
たとえ便利な道具を使っても、
人間の弱さによって、それを間違った使い方をし、
自業自得でひどい目に会うことだ。
それを、小学生のギャグ世界でやることで、
誰にでも理解できる教訓話になる。
未来の先祖から派遣されたはずの未来型ロボットが、
秘密道具で活躍するはずが、
人間の弱さによって、自業自得に協力してしまう、
逆説的皮肉である。
それをギャグの皮を被っているところが慧眼だ。
ところが、
ドラえもん第一回の有名な予告を見たことがあるだろうか。
「机の引き出しから出てきたものは…?」
というものだった。
青い猫型ロボット、というのもなかったかもだ。
自業自得や因果応報や未来から来た先祖の派遣とか、
本質に関係あるものはまるで描かれていない。
つまり、ガワのディテールなのだ。
企画書や予告は、このように、
話の本質を書かない。
優れた広告は、このように中身に踏み込まない。
踏み込まずに、面白いことをする。
だから、企画書や予告に、詐欺が横行する。
企画書と中身は、違うべきだ。
本当に違うのが詐欺で、
正しく違うのが理想だ。
ドラえもんの中身と予告の関係は、
それを考えさせる。
どう正しく違うべきかについては、
これまでに議論した中にあると思う。
企画書で突破し、中身で唸らせるのが、理想だ。
でも中身を書くまで、脚本家は普通中身のことを考えているものだ。
2015年04月24日
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