以前書いた、
物語とは、平時の人付き合いではなく、
緊急時の人付き合いだ、というのを掘り下げてみる。
そもそも一人では物語にならない。
二人以上の揉め事が物語だ。
しかも、たとえ「愛し合う」という同じ目的があっても、
カップルは喧嘩する。
大きくは同じ目的かも知れないが、
具体的には違う細かい目的について、
人は揉める。
会社のメンバー、商工会議所、
家族、庄屋に属する農家、チーム、
製作委員会、CMをつくる人々。
それは平時でもそうだが、
非常時は特にだ。
平時では我慢していたり、気づかなかった問題こそが、
非常時に浮かび上がる。
本当はこいつこうだったのか、という本性が出てくる。
ここが緊急時の面白い所で、
その緊急時の面白さこそが、物語の面白さではないか。
その緊急事態の世界の面白さが、
スペシャルワールドの面白さだと以前に書いた。
今回はそこで右往左往し、本性があらわになる人々についての話だ。
大抵の場合、
平時を先に描いておいて、
緊急時に別の顔を見せると面白くなる。
こういう人だと思っていたのだが、
実はこういう人だったのかと。
それは、どれだけ人間を観察しているかで決まる。
人間の本性についてどれだけ理解していて、
実際に触れているかで決まる。
おそらく、過去に傷ついた経験も参考になるだろう。
酷い人だったと分かるのもいいし、
実はいい人だったと分かるのもいい。
「絶体絶命のとき、実はいい人で助けてくれる」のは、
よくある安易なパターンだ。(ご都合主義)
つまり、実は嫌な人と、実は好ましい人の、二種類ある。
どちらも平時と本性のギャップを描く。
(恋愛におけるギャップは、後者だけをさすよね)
さて、このギャップを小さくしてもドラマチックではない。
面白い物語は、この落差があればあるほど面白くなる。
「まさかあの人が」「そんな人だと思わなかった」
「その正体は…」などは、
現実よりも物語の中でこそよく聞く台詞だ。
つまりは、物語の中では、現実よりも面白いギャップを描くのだ。
例えば少女漫画では、好きな人のギャップを見つける大会のようなものだ。
(嫌われてたと思ったら好かれてた、というパターンは多いよね)
あるいは、嫌いな人の中に好ましい所を見つけることで、
物語の変極点を作ることも出来るだろう。
平時には見せない本性があるからこそ、
人間は面白い。
それは性格などという小さなことではなく、
考え方のほうに近い。
台詞に現れるその奥の考え方や、
台詞以上に雄弁な行動にこそ、
その本性と平時のギャップを見るのである。
これらは、一対一の関係でやってもよいが、
複数の人間関係でやると、より面白くなる。
だから、大抵の物語では、3人から、5、6人のメインキャラがいるのである。
それぞへの平時の人格と、緊急時の本性のギャップを考え、
それを生かしたドラマを考えるだけで面白いではないか。
もしあなたの描く人間が浅いのならば、
このような人間観察を取り入れてみるとよいだろう。
その人によって、何を平時とし、何を緊急時と思うかも違うかも知れない。
例えばアイドルグループの、
ステージでの顔と素顔を見比べることはとても面白い。
ステージを緊急時と考える人もいるし、平時と考える人もいる。
例えばドラえもんは殆ど平時の平常心だが、
ネズミの前だけ緊急時だ。
ネズミ王国との戦いという緊急時の映画をつくるとすると、
ドラえもんがどんな本性を見せるか、それだけで楽しそうだ。
そのようなものが、あなたの話にあると面白くなると思う。
実際に書くのはなかなか難しい。
一人分で手一杯かも知れない。
それが複数人書き分けられたら、
プロに近づいたと言えるだろう。
2015年04月27日
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