2015年04月27日

平時と緊急時の本性

以前書いた、
物語とは、平時の人付き合いではなく、
緊急時の人付き合いだ、というのを掘り下げてみる。


そもそも一人では物語にならない。
二人以上の揉め事が物語だ。

しかも、たとえ「愛し合う」という同じ目的があっても、
カップルは喧嘩する。

大きくは同じ目的かも知れないが、
具体的には違う細かい目的について、
人は揉める。

会社のメンバー、商工会議所、
家族、庄屋に属する農家、チーム、
製作委員会、CMをつくる人々。

それは平時でもそうだが、
非常時は特にだ。

平時では我慢していたり、気づかなかった問題こそが、
非常時に浮かび上がる。
本当はこいつこうだったのか、という本性が出てくる。
ここが緊急時の面白い所で、
その緊急時の面白さこそが、物語の面白さではないか。

その緊急事態の世界の面白さが、
スペシャルワールドの面白さだと以前に書いた。
今回はそこで右往左往し、本性があらわになる人々についての話だ。


大抵の場合、
平時を先に描いておいて、
緊急時に別の顔を見せると面白くなる。
こういう人だと思っていたのだが、
実はこういう人だったのかと。

それは、どれだけ人間を観察しているかで決まる。
人間の本性についてどれだけ理解していて、
実際に触れているかで決まる。
おそらく、過去に傷ついた経験も参考になるだろう。

酷い人だったと分かるのもいいし、
実はいい人だったと分かるのもいい。
「絶体絶命のとき、実はいい人で助けてくれる」のは、
よくある安易なパターンだ。(ご都合主義)

つまり、実は嫌な人と、実は好ましい人の、二種類ある。
どちらも平時と本性のギャップを描く。
(恋愛におけるギャップは、後者だけをさすよね)


さて、このギャップを小さくしてもドラマチックではない。
面白い物語は、この落差があればあるほど面白くなる。
「まさかあの人が」「そんな人だと思わなかった」
「その正体は…」などは、
現実よりも物語の中でこそよく聞く台詞だ。
つまりは、物語の中では、現実よりも面白いギャップを描くのだ。

例えば少女漫画では、好きな人のギャップを見つける大会のようなものだ。
(嫌われてたと思ったら好かれてた、というパターンは多いよね)
あるいは、嫌いな人の中に好ましい所を見つけることで、
物語の変極点を作ることも出来るだろう。

平時には見せない本性があるからこそ、
人間は面白い。
それは性格などという小さなことではなく、
考え方のほうに近い。
台詞に現れるその奥の考え方や、
台詞以上に雄弁な行動にこそ、
その本性と平時のギャップを見るのである。


これらは、一対一の関係でやってもよいが、
複数の人間関係でやると、より面白くなる。
だから、大抵の物語では、3人から、5、6人のメインキャラがいるのである。

それぞへの平時の人格と、緊急時の本性のギャップを考え、
それを生かしたドラマを考えるだけで面白いではないか。

もしあなたの描く人間が浅いのならば、
このような人間観察を取り入れてみるとよいだろう。

その人によって、何を平時とし、何を緊急時と思うかも違うかも知れない。
例えばアイドルグループの、
ステージでの顔と素顔を見比べることはとても面白い。
ステージを緊急時と考える人もいるし、平時と考える人もいる。

例えばドラえもんは殆ど平時の平常心だが、
ネズミの前だけ緊急時だ。
ネズミ王国との戦いという緊急時の映画をつくるとすると、
ドラえもんがどんな本性を見せるか、それだけで楽しそうだ。
そのようなものが、あなたの話にあると面白くなると思う。

実際に書くのはなかなか難しい。
一人分で手一杯かも知れない。
それが複数人書き分けられたら、
プロに近づいたと言えるだろう。
posted by おおおかとしひこ at 00:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック