カット割りについて、基本的なところから教えてくれる本はなかなかない。
スティーブンDキャッツ「映画監督術shot by shot」は、
なかなかいい本だが、アメリカの技術、マルチカメラを前提として書かれていて、
マルチカメラ編集を知らない、日本の訳者が訳しているので、
誤訳がとても多い。
なので、これだという入門書を紹介できない。
カット割りの基本について知っておくべき、
根本的なことを書いておく。
まず、基本は編集なしワンカットの、フルショットだということ。
カット割りがない時代、映画はワンカットだった。
演劇を正面から写すように、
人物のフルショット(縦が人の全身が入るサイズ)で撮られていた。
映像の基本は今でもこれだ。
「他人が何かをしているところを見る」という三人称形式は、
何をしているか最も分かるのは、
その人の全身を見るのだ。
急いでどこかへ向かっている、
農作業をしている、
彼女のことが好きなのだが勇気がなくて言い出せない、
などは、全身の動作で表現する。
演劇をその基礎として出発し、
音声技術が追いつかなかったためサイレントとして出発した映画というものは、
まず、パントマイムがお芝居の基本であり、
カットの基礎になる。
編集なしというのは、全身での表現で、
ストレートに伝わるようにするのである。
パントマイムだから、喜怒哀楽もそれで伝えられるようにする。
昔の映画は全身で感情を表現しているものがとても多い。
チャップリンの豊富なパントマイム力を見れば、
今の役者が演技力なるものにいかにあまり向き合っていないかを知ることが出来る。
さて、映画の父グリフィスが、クローズアップというのを発明した。
カットを割って、その人のアップを撮ると、
全身の動作以上の、細やかな表情が見れることが分かったのだ。
こうして、映画はカット割りを獲得した。
全身の動作で表現するだけでなく、
手元や身振りや表情や瞬きひとつなどの、
細やかな表現をも手に入れたのだ。
そこで、「感情の細やかさとサイズを合わせる」という原則が生まれる。
基本のフルショットは、全身で表現するダイナミックな感情、
アップは最も細やかな個人的感情、
ミドルサイズ(上半身ぐらい)はその間の人とのコミュニケーション距離の感情。
という具合にだ。
ワンカット撮影に比べ、映画はカット割りを得たことで、
細やかな感情表現を獲得したのだ。
アップの多い役に感情移入するのは、
その役の細やかな個人的感情に同調しやすいからである。
また、モンタージュ理論の発見によって、
あるカットの次にそう意図していないカットを繋いでも、
ある意味が発生することが分かる。
例えばある人が何かを見たカットの次に風景を繋ぐと、
その風景がその場になくても、
その人が見た光景(または心象風景)だと分かる。
さて、カット割りを獲得した映画は、
ひとつの問題にぶち当たる。
ひとつのサイズを撮って、次のサイズを撮って、
とやっていると、
演技をぶつ切れで撮影しなければいけないことだ。
カメラをあちこちに移動し、照明を整えるのに、
どうやっても15分や20分はかかる。
絵のよさを我慢すれば7分程度までには縮められるが、それ以上は無理。
つまり、芝居のテンションが、
カットごとに微妙に変わってしまうのである。
芝居が人間による行為であり、
撮影現場で撮る以上当然だ。
従って役者とは、ぶつ切れでやったとしても、
同じテンションを再現できる技術者のことをいう。
素人役者が、「一回しか出来ない芝居」などとほざくが、
それはプロではない。
同じテンションで何度でも出来るのがプロだ。
(勿論、映像というのはその奇跡の瞬間が撮れたらそっちのほうが強いから、
それを採用することが多い。問題は、素のほうが演技よりも強い、
演技の下手さなのだが)
とはいえ、役者は機械ではないので、
正確に同じテンションを繰り返せるとは限らない。
これは監督にとって大問題である。
色々なサイズでカットを変えたいことと、
芝居がぶつ切れになってしまうことの、
ジレンマが起こるということになる。
これを革命的に変えたのが、ハリウッドの導入したマルチカメラだ。
シングルカメラ、つまり一台のカメラで、
台本のここからここまでを撮り、
セッティングをかえて次にここからここまでを撮り、
などとやっていると、ぶつ切れになるのなら、
ワンシーンを最初から最後まで通しで演じ、
複数のカメラで撮ってしまって、あとで編集すればいい、
という考え方だ。
野球中継のように、複数のカメラで撮り、随時切り替えればいいじゃないか、
という考え方だ。
役者にとっては大きな進歩だ。
なんと言ってもぶつ切れをしなくていいのだ。
思う存分芝居を出来る。ダイナミックから舞台以上に細やかな芝居まで。
ところがマルチにも欠点がある。
容易に想像されるのは、コストである。
マルチカメラは最低3台、今の大作なら6か7台。
撮影部がそれだけコストがかかる。
そこで全カメラマンの指揮者も必要になる。
それをDP(director of photography)という。
シングルカメラの日本ではカメラマンというとカメラを覗いて撮る人のことだが、
マルチカメラのハリウッドでは、DPというとカメラを覗かず、
カメラマン達を指揮する立場の人である。
監督はカメラマンに指示を出すように、DPに指示を出す。
さて、コスト以外これは夢のような仕組みに思えた。
これにも問題がある。
カメラ同士の写りこみだ。
アップを撮ろうとして近づいたカメラが、フルショットを撮っているカットに写ってしまうのである。
実はマルチカメラの最大の欠点はここだ。
それぞれのカメラが他のカメラに写らないように、
3から7台のカメラを配置しなければならないのだ。
(勿論シングルカメラならこれはない)
最も安全かつポピュラーな方法は、ほとんどのアップ用カメラを、
望遠レンズで撮ることだ。
しかしカメラを勉強すればわかるが、
標準50ミリに対して、ワイドレンズで近くにいくアップと、
遠くから100や200ミリで狙うアップは、意味が異なる。
それを知りながら、200ミリのアップで「我慢する」という選択肢をとることになる。
(現在では、デフォルトはこの望遠レンズで撮っておいて、
どうしても50以下のレンズのアップが欲しければ、
そこだけシングルカメラで撮り直す、という二度手間をやることが多い。
そして、当然ぶつ切れの問題が復活する。
そこで、シーン頭やシーン尻だけ、このようなカットを印象的に使うなどして、
ぶつ切れの問題を緩和している)
つまり、マルチカメラといえども、
シングルカメラとの使い分けをたまにしている。
マルチカメラの利点/欠点:
ぶつ切れがない/コスト、全て望遠レンズになってしまうこと
シングルカメラの利点/欠点:
自由にアングルを切れる/ぶつ切れにならないように役者のレベルを要求
ということが言える。
勿論、ハリウッドでもインディーズではシングルカメラだ。
マルチカメラが勢いを発揮するのは、
二人芝居の切り返しにおいてだ。
それぞれをアップで繋ぐ会話の切り返しは、映画の基本である。
対立からの止揚を描く、
物語の動的基本の映像表現である。
これをマルチカメラなら、2台で芝居を止めることなく撮れる。
シングルカメラなら、Aの台詞を全部撮り、
次にセッティングを変えて、Bの台詞を全部撮る。
流石にテンションが合わないから、
Aの台詞を撮る間はBも芝居をしてもらう。
つまり、シングルカメラの二人芝居では、二度同じ芝居をしなくてはならない。
マルチカメラでは芝居をやりながら芝居を変えていけるが、
シングルカメラでは芝居を決めるという段階と、
それを再現しながら収録するという二段階がある。
マルチカメラは即興を許すが、
シングルカメラは厳密だ。
(この即興性やライブ性がほしい場合、
シングルカメラで使われるのがワンカット長回しだ。
バードマンでも見たように、長回しは、
結局他とテンションが合わなくなる。つまりぶつ切れである)
先にあげた本「映画監督術」は、
マルチカメラ前提の教科書だ。
基礎編はとても勉強になるが、
マルチカメラ前提の用語が多く、
シングルカメラ世界しか知らない中途半端な訳が入っているので、
諸手を上げてオススメはしない。
日本映画はシングルカメラが中心だ。
会話のぶつ切れ問題をどうやって解消するのだろう。
カットをあまり割らないことでだ。
例えばハリウッドなら切り返しで見せる所を、
ツーショットの長回しでやりきることが多い。
その為対面に座らせず、ベンチやカウンターに平行に座ったり、
90度に座ったりする。
あるいは、切り返しは、最小限二回にする。
アップで締めるのは、代表的な日本映画のカット割だ。
日本映画では、何を一連でやり、
どこで割ればぶつ切れを防げるかを中心にカット割りをする。
ハリウッドなら、感情の細やかさに合わせてカット割りをする。
(日本のドラマは実はこの中間。
スタジオでマルチカメラ収録、ロケでシングルカメラ収録。
スタジオには自社カメラやスタッフやスイッチャーがある。
ロケは大部隊で交通を止められない日本のロケ事情のため、
シングルカメラでやることが多い)
つまり、カット割りは、表現意図だけでなく、
予算や現場状況や役者の技量によっても変わるのだ。
さて、基本に戻ろう。
基本は、フルショットの長回しだ。
そこにアップをさしこんでいけばよい。
それが感情の細やかさに沿うように、
それがモンタージュをなすように、
それがぶつ切れにならないように、
カメラの台数や芝居の仕方をコントロールしていく。
それがカット割りだ。
基礎が出来ていれば、変わったカット割りはいらない、と僕は考える。
変わったカット割りが必要なのは、
内容が詰まらない時だけである。
あなたは脚本家だ。カット割りよりも物語が気になるような、
とても面白くて素敵なストーリーを書くことだ。
2015年04月28日
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