2015年04月30日

「行って来い」を防ぐために

A→B

とシーンを書いて、
Aに追加要素があったなあと思い、続けて、

A→B→A2

とBをA要素で挟んでしまうときがある。
これを「行って来い」といい、よくない方式だと戒められる。


混乱を避けるため、表記を以下、

A1→B→A2

としよう。
これを、

A3→B(A3はA1とA2を融合したもの)

に書き換えるのが理想だ。



そもそも、行って来いがなぜよくないか。

書き手としては、
A1→A2の間に、Bをインサートしたもの、という認識だ。
が、観客の立場から見るとこれが異なる。

A1のあとにBを見ると、
世界が拡大していく感覚を得る。

従って次に予想するのは、更なる拡大であるCだ。
それがAに戻ってきて、がっかりするのである。
なんだつまんないやと。

上級者は、ほう収束してきたかと身構える。
A1とBを統合するのだなと。
それでもなく、単なるA1の続きA2になり、萎えるのである。

観客と書き手の、見てる場所が違うからこのズレが起こる。

書き手は全部を書き終えた、A2のあとから全体を見ている。
しかし観客は、全体を知らずに、
A1を見て、次にBを見て、何らかの予測をし←ここ重要
次にA2を見る。

あとから見ればA1と2の間にBが挿入されていたとしても、
A2が始まったときの萎えを、取り戻すことはできない。


解決方法の正統なやり方は、
Aを統合して、A→Bのシンプルな構造にすることだ。

しかし、単純にA1+A2としても、
だるいシーンになるだろう。

A1の前半を恐らく書き直すことになる。
A1の前半は、A1を書くための前ふりになっていて、
A2を書くための前ふりになっていないからだ。

そこで、A1A2の両方をいっぺんに書くための前ふりを書くことになる。
そしてA1A2の本体を書くとよい。
A2の前ふり部分は既に書いたので省略できるから、
実質のページ数は減るはずである。

シーン尻もどちらかのものを使うだろうから、
実質のページ数は減るはずである。

こうして、
A12の前ふり、A1A2 の本体部分という構造の、
新しいA3が書かれることになる。



これは、手書きだととてもやりやすいが、
デジタルツールでは、コピペにたよりがちなので、
うまく統合が出来ないことが多い。
コピペして並べ、あるところを削り、またあるところを足し、
なんてやっていくと、整えるまでに時間がかかるし、
結局出来上がったものもギクシャクする。

手書きだと一から書くので、
体が上手く統合してくれる。
いい具合に忘却も作用する。

デジタルツールは、減らすことが下手だと思う。
ただ減らすだけで、良く変容させながら減らすことが出来ない。
増減はデジタルの仕事、変容はアナログの仕事である。



話が脱線した。

行って来いは、書き手の不注意から起こる。
不注意だから、起こらない保証はない。
つまり、一生に何回かは起こる。
気づけば、リライトで統合することができる。


もし、A1とA2がとても複雑で大きいものなら、
どちらかを簡略化する(どちらかに重心を置く)、
またはどちらかを捨てるという方法もある。


時間軸を持つ芸術では、
「人がひとかたまりに捉えられるもの」の単位がとても重要だ。
それを決めることが、執筆だ。
posted by おおおかとしひこ at 12:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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