2015年05月02日

脚本添削2015その3:主人公たち

この話はダブル主人公だと考えられます。

そういえば「流星の侍」では、
次郎丸と河童というコンビでした。
大きく言えばストーリーラインも同じです。
出会って、導かれて、一発かます。
その意味で、同じ話だとも言えるし、同じ欠点を持つとも言えます。

逆に言うと、ほらさんは持ちキャラが少ないのではないでしょうか。


いわゆる典型的なキャラがいます。

ドラえもん布陣
(ぐうたら、優秀なサポート、いじめっ子、イヤミ、賢いヒロイン)
戦隊布陣
(熱血、クール、力持ち、ヒロイン、若手)
あたりが日本人には馴染みやすいでしょう。
五番手はチビの子供や博士キャラなどに入れ替えが効きます。

ぼくは、リンかけ布陣
(弱気だが努力家、天才、お調子者、渋い、女っぽいドS)
も大好きです。
風魔の小次郎の5人は、一番目を力持ちの劉鵬に変えた上で、
(劉鵬、竜魔、小次郎、小龍、霧風)に置き換えると理解できます。
(解釈によっては竜魔と小龍は逆かもね)

幽遊白書は主人公を熱血に変形させたこの布陣です。
上の順に、(遊助、飛影、桑原、ババア、蔵馬)

また、聖闘士星矢もリンかけとはパワーバランスが違いますが、
(瞬、一輝、星矢、紫龍、氷河)かと思われます。

必ずしもこれにはまらなくてもいいです。
長編だと回しやすいのは、先人の型として証明されてはいます。
勿論型破り歓迎です。

キャラクター設計をするときに、
これらの型を借りてもいいし、
自分独自のキャラクターを発明しても構いません。

自分の書けるキャラクターのことを持ちキャラと言うことにしましょう。
(これは自分の性格や人生経験で決まる部分です)


その意味で、ガタイが河童から大きくなっただけで、
次郎丸と河童のコンビと、
公男と虎のコンビは、
同じ持ちキャラを持ってきたとも言えます。


持ちキャラは洗練されていれば、魅力的なものです。
リンかけの香取石松と、
風魔の小次郎は殆ど同じお調子者の持ちキャラですが、
どちらも魅力的です。

しかし同一人物ではなく、似たような別のキャラにも見えます。
何故でしょう。
見た目?人間関係?バックストーリー?
ノー。

目的が違うからです。

石松の、漁師を継ぎながらボクシングやりたいことと、
小次郎の、姫子に惚れて守りたいことが違うから、
別のキャラに見えるのです。

仮に実写化して同じ俳優が演じたとしても、違うキャラに見えるでしょう。

それは、目的が違えば、行動も人間のあり方も変わってくるからです。


同じスペックの俺が二人いたとしても、
この休みにダラダラする目的の場合と、
この休みに原稿を書きためる目的の場合では、
別人のような動き、考え、リアクションになります。

極端に言うと、「目的がキャラ」なのです。

性格なんて、極端に言うとどうでもいいのです。
目的がはっきりしていて性格がないほうが、
性格がはっきりしていて目的がないよりも、
ストーリーとしては上等です。
(キャラクタービジネスでは、ストーリーは重視されないため、
性格や特殊能力>目的になる。たとえば妖怪ウォッチ。
これは、妖怪ウォッチのゲームが面白くてアニメが面白くないことの、
説明でもあります)


次郎丸の目的と公男の目的は似たようなもの。
ダメな自分を脱出して一発かましたい。
河童の目的と虎の目的は似たようなもの。
何かをするために移動中だが、主人公の手を借りないと無理。

この相似性が、二つのストーリーラインを殆ど同じものにしてしまうのです。

ということは、
なにも考えずリライトすると、「ねじまき侍」になってしまう。
それじゃつまんないよね。



虎の目的を深く考えましょう。

「勉強をしたいのだがどうやっていいか分からない野獣」を生かす為に、
「先代の遺言で大学を出ろと言われた」という設定をつけるとしましょう。

現状は、「ヤクザもインテリにならなければならないから」
という「切迫した理由」ではありません。
だから説得力が薄いのです。

もっと切迫させましょう。先代の遺言は今年中というタイムリミットを設けます。
たとえば先代の娘にプロポーズしたいが大卒でないと認めん、
なんていうわかりやすいものを持ってきてもよいでしょう。


車をぶつけた時点で、虎は若手に運転させて問題集をやっていたのです。
どうしても分からない(小学生レベルの)問題があり、
助手席で頭をかきむしっていたところ追突される。
石頭なのでフロントガラスに突っ込んでも全く平気、
というキャラの立った登場シーンにします(バックストーリーも込みになる)。

で、公男に出会い、「先生ならこの問題分かるだろ!」
と飛びつき、簡単に教えてもらい、大喜びする無邪気な野獣にします。
「ただし事故の落とし前はとってもらうぜ」と急にヤクザに戻り、
「ヤクザの家庭教師」というヘンテコな話がはじまるのです。

仮タイトルもきまり。「ヤクザの家庭教師(仮)」。
二幕のお楽しみポイントは決まったようなもの。
「ヤクザに勉強を教える代わりに、ケンカを習う」です。


これで虎のキャラが立ちました。
野獣を手なづけるには、それなりの理由が必要です。
この場合は、公男が優れた教師であったことです。

目的は人を変えるのです。
(ビッグトゥモローとか新興宗教みたいですが。
逆に言えば、このような自己啓発は、
現実に対して物語の力を借りるのです。
宗教と物語は切っても切れないことを思い出しましょう)



さて、公男に戻りましょう。

公男の目的は?
いじめを止めたいこと、の筈です。
しかしそれが上手くいかない。
何故か?弱気だから?腕っぷしに自信がないから?

いや、自分の信念が伝わってないから。

例えば物理教師だとして、ケプラーの第二法則は素晴らしい、
というのが伝われば、彼は自信が回復出来るはず。

で、それが頭突きのクライマックスに結び付くことがベスト。


となると、物理教師ではなく、
数学教師に変更しましょう。

「頭はこう使うんだよ!」みたいな決め台詞になるように、
全てを組み立てるとスカッとすると思われます。

そのネタを、数学から探すことにします。
物理には無さそうだけど数学にはありそうだと思ったので。
劇中の台詞を使うなら、生物教師にして、
「頭蓋骨は人体の骨で一番固い」を使うべきかも知れない。
しかし確か「肘か踵」だという記憶が。
今調べたのだが、親指の付け根、いわゆる蹴りを放つ前足底の骨らしい。
とすると、古生物が専門の生物教師ということで、
ハンマーヘッド、パキケフェロサウルスというヘンテコな恐竜の話でも持ってくるか…?



さて、何故こういうことを思ったかというと、
この物語のオリジナリティーはどこか?
という逆算からです。

次回は、この話のオリジナリティーは何か?
という所から掘っていきましょう。
posted by おおおかとしひこ at 18:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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