この物語のオリジナリティーはどこか?
頭突きでしょう。
ラストの一発の為に全てが組み立てられています。
ドヤで出すタイトルにもそれは現れています。
つまり、これがすべての象徴にならなければなりません。
なんの?
テーマです。
ヘッドバットと頭が悪いことの掛詞である、
「ヘッド・バッド・ティーチャー」の意味が、
僕にはピンと来ませんでした。
頭突き教師にはなったけど、
頭の悪い教師ではないからです。
公男が頭が悪くて、頭突きでクリアしていく話なら、
ややこしいことはこれ一発で解決する話なら、
このタイトルは適切です。
さて、ここで僕は読解力があるので、
「虎が公男にとっての教師になる」という掛詞をも読み取ります。
「お互いがお互いの得意分野を教えることで、
お互いを幸せにする」というストーリーラインをです。
公男は勉強、虎は喧嘩。
頭の悪いヤクザと、頭突きをする教師の、掛詞がこのタイトルであると。
ところが、二幕のお楽しみポイントでこれはじっくり描かれませんでした。
二人の苦闘は、モンタージュの中に格納され、オフになってしまう。
ここをこそ、じっくり見たかったのに。
そしてそれは人間と人間のぶつかり合いになるから、
ついつい避けてしまったのです。
メアリースーはここにもいます。なるべく楽をしてしかも認められたい病が。
この物語の主人公が二人であるとすると、
変化をお互いに遂げるべきで、
しかもそれがこの話のテーマにならなければなりません。
虎は実は変化していません。
勉強をする過程で、何かを得ていません。
外的な大学合格は得たけど、内面の何かは変わっていません。
公男は(不完全ですが)頭突き一発の勇気を持てたという変化があります。
つまり、二人をタイトルには出来ないのです。
お互いがお互いのティーチャーになっていないのだから。
方法は二つ。
二人をちゃんと変化を描くダブル主人公にするか、
公男を主人公、虎を副主人公とするかです。
で、ようやく、この話のテーマ(つまり変化で示すもの)
って何だっけ?
というところにたどり着けるのです。
僕はこの話から、テーマを読み取れませんでした。
ある大変な事件に巻き込まれて、
それをどうにかしてクリアしたことは目撃したけど、
それがなんの意味があったのか、
全く分かりません。
ただのミッションクリアでしかない。
頭突きはあくまでそのお釣りレベルであって、
そもそもの問題、いじめへの対処が出来るようになること、
が全く描けてない。
「なめられないこと」という周囲の変化であり、
主人公の内面の変化ではないからです。
そこが、最初に、「心が震えない」と僕が言った部分です。
いじめを見てみぬふりをする気弱な教師は、
いかにして内面的な成長を遂げて、
いじめに対抗出来るようになるのか?
ケンカをマスターすることは、外的な条件です。
彼の内的なものは?
例えばいじめっ子アキラは、落ちこぼれだとしましょう。
彼にも教えられる自信がつく、
という変化はどうでしょう。
だってあの虎にすら教えられたんだもの。
どんな馬鹿生徒でも、根気があれば(或いは虎とのやり取りで得た何かがあれば)
教えることは出来る、と分かったら。
このように、内面的な変化は、それまであったことから、
「自然と訪れる」ものでないと、不自然です。
劇中では、一度も公男は頭突きの練習をしていない。
パンチをかわせることは学んだけど、
公男はもっと大事なこと、頭突きの何を習ったのか。
「一番大事なところで相手の一番大事な所へ飛び込むんだ」と、
虎が言ったとしましょう。
勿論これは比喩も含みです。
だから頭突きをしたあと(?)に、公男はアキラに言うのです。
「俺が勉強を教える、お前の分かってない所を調べよう」と。
そうすれば、
「一番大事なところで相手の一番大事な所へ飛び込む」
がテーマになるでしょう。
ということは、
それまでに受験の決着がついてないほうがよいはず。
ということで、高二の話に変えることにします。
頭突き事件のあと、皆が変わった。
アキラは勉強をしはじめ、成績が少しのび、
いじめはなくなり、
公男は堂々と授業をするようになった。
しかし最も変わったことは、
虎が転校生としてやってきたことだ。
みたいな落ちなら、変化を全て示せそうです。
となると、虎の目的も、あと二年で、と締め切りを修正するとしますか。
さあ、大分形になってきました。
タイトルは「頭はこう使う(仮)」にするとします。
勉強と頭突き、両方をかけているのは勿論です。
さて、プロットと三幕構成の組み直しに入りましょう。
2015年05月03日
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