2015年05月04日

「そんな上手くいくわけないじゃん」との闘い

更に続けて。
つまり、ボトムポイントからハッピーエンドへの駆け上がりは、
「そんな上手くいくわけないじゃん」との闘いだ。
ここがご都合主義だと冷めるのである。


ご都合主義に陥らないためには、
説得力が必要だ。

しかしあなたは、全ての文脈での、
この問題に関する一般解法を考え出す必要はない。

あくまで、「この文脈内で」自然な解決になればよいのだ。
世界のルールを利用するのは、そのひとつだ。
一幕や二幕前半で前振りしたことを再利用するとよい。
逆に世界のルールは、
ラストの解決の為に逆算でつくるものである。

デスゲームものは全部そうだ。
最初に言われたルールを曲解することで、
解決をもたらすパターンが多い。

あなたは、今周りにあるものは何でも利用できる。
それを使って解決すればよい。
もし、あと○○だったらもっと鮮やかになるのに、
と思うなら、事前に仕込めるように、逆算して前の場面を書き直すといいだろう。

この問題が、どこの文脈に出しても解決する、
というのはあまりにも難しい問いになる。
この文脈なら解決出来る、という、
いわば部分解をつくるのである。

ヘッド・バッド・ティーチャーにおいて、
いじめ解決の一般解を思いつく必要はない。
あくまで、アキラを説得出来れば解決なのだ。
そして、それが解決出来るように、
設定を仕込んでおくのである。

元原稿では、頭突き一発で、そんな上手くいくわけないじゃん、
がある。
結局、みんなヤクザに脅されました、
という結論にもなっている。
だから芯を食った感じがしない。
説得力が弱い。
それは、いじめの一般解を求めているような気がするのだ。
あくまで、この世界での解決さえすればいいのだ。
それが部分解でありながら、
一般解にも通ずる何かを描ければ、
それは説得力があるのである。


そんな上手くいくわけないじゃん。
そう思われたら物語はおしまいだ。
そもそも、物語は現実ではない。
現実っぽい別のものである。
それを現実のことのように錯覚させることが物語だ。
それは、現実の下位互換であることを意味しない。
時に現実の上位互換が現れる可能性がある。
物事の単純化によってだ。

いじめ全般を解決出来る方法は示せないが、
家庭に複雑な問題を抱え、分数が分かってない奴には、
対処可能だ、
そう単純化することで、複雑な現実の上位互換にするのである。
何だかテーマとごっちゃになったが、
そういうことだ。
数学と物語理論という違いはあるものの、同じことを書いているとも言える。



あれ、益々ハードル上がった?
少々お待ちください。
posted by おおおかとしひこ at 14:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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