2015年05月11日

CMと映画の違い

実はこの答えは、僕がショートフィルム「キラージョー」を作ったときに、
既に出ていた。
監督インタビューで、CMとショートフィルムの違いって何ですか?
と、CMディレクターとしての僕に質問があり、
その場で物凄く考えて、慎重に答えた記憶がある。

それは、
落ちを自分で作るか作らないかの違いだ。



CMと映画の違いを、
長さとか予算とか、媒体とか、スポンサーとか、
カメラ目線の有無で線引きするのは、
本質を見ていない。


CMでは、その落ち、すなわちテーマは最初から決められている。
「その商品(または企業)は、素晴らしい」である。

映画では、自分で落ちを決めなければならない。
その落ちでテーマを暗示する。
それは誰かに与えられるものではなく、
自分で決めるものである。

CMと映画の違いは、
自分自身で、そのテーマのケツを持てるかどうかだ。




さて、
下手なCMは、ただ良さをストレートに言うだけだ。
AをAで表現する。
ただの主張であり、詰まらない。
そこで、
AをBで表現する。
その差で面白さが出てきて、そこのリンクを見つけることを、
クリエイティビティという。

この構造は映画も同じだ。
AをAで表現するのは、ただの演説だ。
(ミュージカルは、AのテーマをBの歌形式で言うものだが、
歌詞だけ取り出すと、AをAで言っている。
つまり、AをBで表現するものの中で、原始的なやり方だ。
原始的だからといって劣っている訳ではない。
「ありのままで」の大ヒットは、原始的なことの強さを示した)

Aをいかに違うBで表現するかを競う、
競争だと言ってもよい。


ただ、映画とCMが違うのは、
自分でテーマを決めるか、
他人のテーマを表現するかの違いだ。


かつてのCMは、実は自分でテーマを決められた。
商品の良さに、CMで付加価値を乗せるという考え方で。

サントリーオールド「恋は遠い日の花火ではない」は、
「うまいウイスキーというテーマ」以上の何かを、
このCMは描いている。
ここをどんな上澄みを持ってくるか、というのが勝負だった。

しかし広告文化の凋落によって、
「売りを伝えること」以外は余計なものと見なされている。
売りAをそのまんまAで伝えるか、
売りAをちょっと人目を引く何かBで伝える程度だ。

この形式で書くなら、かつてのCMは、
Aを含むテーマBを創作し、
BをCで表現していた。
A:「サントリーオールドはうまくて素晴らしい」
B:「古いことは、時代遅れでもなんでもない。
むしろ大人になることで熟成され、かつ現役であることだ」
C:それを、中年と若い男女の出会いで表現する

BはAを含み、
それの価値を新たに人に発見させる。
その差分が付加価値だ。
人はCを通じて読み取ったBにハッとすることで、
Aの良さを再発見するのだ。
そういう構造だ。

今のCMは、
A:「安売りを伝える」
B:「びっくりして顎が外れて床をぶち抜き、下の階に」とか、
B:「びっくりすることを1カットやスーパースローなどの映像ギミックで見せる」とか、
B:「びっくりしたタレントの素の言葉で伝える」とか、
B:「安売りイベントを開催し、メイキングを撮る」
程度のことしかしていない。

だから詰まらない。
結論が見えすぎて、詰まらない。
(原因は見る人のリテラシーの低下、クライアントのリテラシーの低下、
作る人のリテラシーの低下、全てにあると思う)

BとCの関係からAをいいと思わせる構造では、もはやない。
(僕はトトロのコピー「忘れものを、届けにきました。」を絶賛している。
これもABCの構造だ)

だからCMなんて、
所詮他人のテーマを語るだけの工夫しか(今では)出来ないのだ。



一方、映画や文学は、
物語で語るテーマを決めなければ、何も出来ない。
ここが最も面白い所であり、
最も難しい所だ。
テーマと全体やモチーフの関係については既に書いたが、
ズバリと書けたかどうか怪しい所もある。
(それぐらい、文章で解説は難しい)

テーマを決めることは、覚悟だ。
この主張だと見られる自分を引き受ける、責任が生ずる。
その責任を負える人だけが、作家を名乗っていいと思う。



CMは(もはや)作家を育てない。
今の原作つきばかりの映画も、作家を育てない。

新しいことをする作家はリスキーだからだ。
業界は、既に成功したものを買ってくることしか考えていない。
ちょっと前までは、
原作ものの外面だけ合わせて、
中身を換骨奪胎してやろうという野心的作家もいたものだが、
それらはAをAで表現することしか分からない馬鹿に駆逐されたと思う。


今最前線はどこかは、分からない。
少なくとも、
リスキーなことを皆嫌がることは確かで、
テーマに責任を負える奴だけが、
作家でいられることだけは、確かだ。

CMを作ることに僕はもうあまり希望を持っていない。
ラブレターの代筆屋はもういい。
自分のラブレターを書きたい。
posted by おおおかとしひこ at 22:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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