カット割の基本は他にもある。
引き絵、人のアップと切り返しが基本だとすると、
他の寄りだ。
手元のアップ、その人が見たもののアップなどだ。
これが何故脚本と卵と鶏の関係になっているのだろう。
人間の手元は、何かを作ったり、
操作することを表すのによく使う。
つまり、アクションのひとつである。
メモを取る、判子を押す、指輪をはめる、
車を運転する、死刑執行のボタンを押す、
など、アクションを示すことが出来る。
つまり、人と人の関係を描く、
切り返しの代わりなのだ。
Aの手元のアクションからBに切り返せば、
AとBのアップの切り返しと、同じ意味になるのだ。
台詞で言わずにアクションで示しただけだ。
また、手はその人の気持ちを表すことも出来る。
顔は笑っているが拳を強く握りプルプル震えている(秘めた怒り)、
とても丁寧に相手の宝物を扱う手(愛情)、
手を握ろうとしたらその手を外す(拒否や遠慮)、
などを容易に想像できるだろう。
つまり手は表情の代わりである。
優しく女の体を撫でる手と、目をつぶる女の表情を切り返すだけで、
それは愛情に満ちたセックスを表現出来るというものだ。
あるいは、非難する女と、プルプル震える男の拳は、
顔のアップの切り返しよりも説得力があるものだ。
このように、手元のアップは、時に顔のアップの切り返しよりも雄弁であることが多い。
見ているもののアップと、それを見ている人の切り返しも頻出である。
時計を見る顔→時計(時刻)のアップ、
恋する男→フェンスの向こうの(彼に気づいていない)女性、
などなどだ。
手元のアップと、見ているもののアップは、
切り返しである。
つまり、
その人と手のものの間の関係、
その人と見ているものの関係を、
そこに作り出す。
AとBだったものが、
Aとモノになるだけのことである。
モノ経由でBとの関係の表現になることもある。
指輪や離婚届、凶器の包丁や銃、キリスト教徒の十字架はその頻出だろう。
つまり、切り返しとは、
何かと何かの関係だ。
その変化を描くことが、物語だ。
2015年05月14日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック