前記事で、会話をテニスのラリーにたとえた。
会話を書くのが下手な人は、
このラリーを意識するといいのかも知れない。
AとB二人が会話するとしよう。
会話を書くのが下手な人は、
ラリーを最初からするつもりで書いていない。
「やあこんにちわ」
「こんにちわ」
「今日は暑いですね」
「30度いくんですって」
「…(話すことがない)」
ラリーを最初からするつもりなら、会話は続く。
Aは告白をしたい。(目的がある)
Bはトイレにいきたい。(目的がある)
「どうしても、言いたいことがある」
「何?今じゃなきゃダメ?」
「今だ。今日だ」
「何?はやく!」
「あの、えっと、話せば長くなるかも知れないけど、半年前にさ、」
「もうちょっと手短にして?」
「じゃ、はい、言います。…あ、どうしよう」
「はやくっつってんだろ!」
これがラリーである。
あと10ターンは続けられると思う。
例えばこのあと、どうしてもトイレに急ぎ、
トイレのドア越しに告白し、
乙姫でかきけされておしまい、
なんて落ちまで行くことが出来るだろう。
ラリーとは何か。
目的があることだ。
一人ではなく、二人に、別の目的があることだ。
一人にしか目的がないとしても、ラリーは続かない。
「あの、話があるんですが」
「なに?」
「ずっと前から好きでした」
「ありがとう。でもごめんなさい」
「…(次何を言えばいいのか分からない)」
更に告白を続け、ストーカー化し、
警察に捕まってもよいだろう。
しかし、一方に目的があり、一方にはないとすると、
会話は一方的になるのである。
それが一人称的ということだ。
「今日焼鳥屋にいきたいんだけどいい?」
「別になんでもいいけど」
「ねぎま最高!レバーひゃっほう!」
「…(帰りたい)」
これが焼鳥屋とカレーだとしたらどうだろう。
「今日焼鳥屋にいきたいんだけどいい?」
「えー、今日カレーの気分だったのに、全然違うくない?」
「カレーか。焼鳥って気分にならない?」
「ならない」
「なろうよ」
「ならないわよ」
「そうか、全然違う和食にして、双方我慢しよう」
「なんでよ!チキンカレーじゃだめ?」
「ダメだよ。串がいい」
「タンドリーチキンは?」
「ううん…」
「それが串に刺さってたら?」
「刺さってないでしょ」
「刺そうよ。店員さんに刺してもらおうよ。よし決まった」
「ううん」
「じゃなにがいいのよ!」
こんな風に、違う目的があるだけで、
ラリーはいくらでも続くのだ。
串刺しタンドリーチキンでいいと思えばカレーに行くだろうし、
いったカレー屋にタンドリーチキン売り切れというアクシデントを作ることも出来る。
こうやって話は転がしていける。
串刺しタンドリーチキンがあまり面白くないから、
焼鳥とカレーの組み合わせを変えて、
よりへんてこな組み合わせになるようにして、
落ちが売り切れにすれば、
もう一本のコントの背骨が出来たようなものだ。
あとは会話のコネタを挟んでいけばよい。
ラリーとは、
最初からラリーをするつもりでなければ成立しない。
テニスにおいては、相手を出し抜く玉を打つことだ。
出し抜かれてはならないから、相手を出し抜くように打ち返し、
それが結果的に続くのがラリーである。
会話におけるラリーとは、対立である。
対立は、目的の違う人々の間で起こる。
目的が同じ人々の間にはラリーは起こらない。
「好きだよ」
「私も」
「ふふふ」
「私たち似てる」
「そうね」
「ふふふ」
ラリーは、目的の違う人々の間で起こる。
だから会話が生き生きとする。
「おもしろげな違う目的を作ること」が、
創作だといってもいいぐらいだ。
2015年05月15日
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