2015年05月15日

目的が違うから、焦点やターニングポイントが生まれる

前記事の続き。



目的の違う人々の間で起こることが、物語だ。


目的の違う人々は、
まずは目的が違うことを確認する。

大抵は、私の目的は○○です、
なんて最初に宣言することではなく、
何かをしはじめて、違和感があり、
話し合うことで目的の違うことがわかってくる。

目的の違いが分かった場合、
両者は別れるか、
双方が合意できる小目的を設定する。
これが焦点である。

焦点に従って行動し、
その結果が出たとき、
(経過は省略することも可能だ。
ロッキーのクライマックスの試合は、
省略が実に上手く効いていることに注意したい。
シリーズを追うごとにここが長くなって見せ場になっているのだが)
そこがターニングポイントになる。

次の焦点が決まるからだ。
またまた互いの目的を確認して、
別れるか合意できる小目的を作ることもあるし、
自明ならば次の焦点が暗黙の内に決まる場合もある。


カップルや夫婦を考えれば分かるが、
最初はお互いの違いで揉めるが、
互いの目的(愛してること)が同じであることが分かれば、
あとは同意出来る小目的を追うことになる。
そのうち、二人は似た者になってきて、
目的の相違もなくなり、「ふふふ」と言い合うだけになるだろう。
(それも過ぎればただいるだけの、空気のような自然な二人になるだろう)

つまり、ドラマティックストーリーに必要な、
焦点とターニングポイントという、ストーリーラインそのものが、
目的の相違から生まれるのだ。

逆に、目的の一致してしまったカップルは、
もうドラマティックなことは起こらないのだ。
(あるのは細かいケンカだろう。
それすらもなくなっていけば、空気のような自然な二人になるだろう)


つまり、ドラマティックとは目的の相違だ。



若者よ。
あなたの人生が詰まらないのは、
目的がないからである。
あるいは、ドラマティックな目的がないからである。
または、目的のない人と付き合っているからである。
違う目的のある人と呉越同舟になることがドラマティックの必要条件だ。

若者が冷めてるとかセックスレスだとか、
無感動とかスケールが小さいのは、
ドラマティックな呉越同舟を避け続けた結果なのだ。

ドラマティックな目的を持て。
ドラマティックな目的を持つ別の人々と組め。
強制的に。
とてつもないストレスだろう。
五体全部を使って目的の達成をしなければならなくなる。
ケンカは必須だ。合意や団結、決裂もあるだろう。
最終的にその目的が達成されればハッピーエンド、
微妙な結果ならビターエンド、
最悪ならバッドエンドだ。

そのうち、ハッピーエンドを主に描くものを、
創作物語というだけのことだ。
posted by おおおかとしひこ at 11:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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