2015年05月16日

どのようなヒロインを描くかで、作者の幼さが分かる

女の作家はヒロインをヒーローに置き換えて。

理想のヒロインは、誰?


主人公のことを全面的に認めてくれる人。
甘えさせてくれる人。
批判や小言は言わない。
巨乳、童顔。
現実離れして、どこかふわふわしている。
世間知らずで、他の男との比較をしない。
しかし主人公の知らないことはちゃんと知ってる。

こういうヒロインしか書けないとしたら、
あなたはまだ人間の女と恋愛をしたことがない。

あるいは、現実の女に絶望していて、
理想を追い求め過ぎている。


それは、幼いことだ。
別の言葉で、全能感ともいう。

大人になることは、
全ての条件が整っていないときに、
何を考えどのような決断をするかということだ。
そこに責任を持つということだ。


理想のヒロインなんていない。
いると考えるのは、
現実とファンタジーの区別がついていない。
アニメやラノベなら、ファンタジーも有効かもだが、
実写はそうはいかない。
「現実」とどう噛み合っているかが、
その人のリアリティーになってくる。


リアリティー溢れる登場人物たちだとしても、
ヒロインだけ理想の女になってしまうのは、
人間の女とイデアの女の区別がついていない。

イデアの男を演じる奴はモテる。
イデアの女を演じるアイドルやキャバ嬢は人気になる。
それ自体、人々が幼い証拠である。

イデアの男を演じる奴は、男たちから嫌われる。
イデアの女を演じる子(つまりぶりっ子)は、女から嫌われる。
しかし自分のことになると、
人はとても目が曇る。


これらを分かって理想的ヒロインを作り上げるのか、
無意識にやってしまうのかは、大分違う。



原作(アニメ)の北条姫子は、イデアのヒロインでしかない。
ドラマの北条姫子は、人間の女になりながら、
なおかつイデア成分を上手く持ったと思う。
(風魔のヒロインは蘭子、または姫子と蘭子のダブルだとも考えられる。
僕は姫子単独ヒロインの考え方で臨んだ。
それは主人公小次郎合わせである)


自分が幼いかどうかをチェックする方法。
そのヒロインが、
自分が嫌なことをするかどうか。
そのヒロインが人間なら、私の不快なこと、認めがたいこともするはずだ。
その時、私はどう対処するかだ。
一気に冷めるのか?許すほど愛せるのか?もっと平熱で愛するのか?
僕の理想は、平熱で愛することだ。
(例えば姫子なら、夜叉姫に転がされてなお理想を説く、
という、甘ちゃんな所がある。そこも含めて、僕は姫子が好きだ)


自分が嫌なことをする、というので思い出したが、
一時、ビッチヒロインが流行った気がする。
その方が、書き手や受け手にリアルな現実だからだ。
それはリアルだが、その先に何も生まなかった。
難しい所だ。


恋に恋する、という。
現実は砂糖菓子ではない。
苦いことのほうが多い。
それを分かった上で砂糖菓子を作らなければならない。
無意識に砂糖菓子をつくるのは、幼さである。


これらを確認するために、
結婚詐欺の話を書いてみると面白いかもしれない。
男の結婚詐欺師、女の結婚詐欺師、両方書いてみると面白いかもね。
その二人が出会って恋したりして。
(ん?今一本出来たのか?)
posted by おおおかとしひこ at 16:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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