2015年05月16日

沈黙の中に、その人の本質がいる

「…」
という表現は、日本文学特有の表現なのだろうか。
外国文学やシナリオを豊富に読んでいないので、
そこまでは分からない。

しかし日本映画では、一本につき必ず何回か、
この瞬間がある。


外人みたいにペラペラと、自分の気持ちを上手くプレゼンすることは、
我々日本人には困難である。

口下手で、言葉を尽くそうにも上手く言えなくて、
何も考えない訳じゃなく、
むしろ水面下で多くのことを考えていて、
まだ言葉になっていない感覚。

整理されて出てきた言葉より、
この言葉になっていない沈黙の時間のほうが、
その人の本質をよりとらえているのではないか。

リアル空間では、ただの物静かか、喋らない地味な人、
でしかない。
しかし映画にはアップがある。
アップで「…」と表現される、
言葉にならない気持ちこそが、
映画でもっとも劇的な瞬間である。



逆に、思わせぶりにしたければ、
随所に「…」を入れるといい。
何かを考えているのだろう、
と勝手に観客が想像し、
何やらレベルの高いものに偽装することが可能だ。
エセ役者ほど、変な間を入れてくる。
(ここまで前ふりしておいて、
ゴルゴ13がセックスするときも「…」とあるのに、
僕は大爆笑するのである)


それを全部取り除いて、ひとつだけ「…」をつくるとしたらどこか、
を検討するといいかも知れない。

それはおそらく、最も感情がふれるところだろう。



人は、感情が本当に振れるとき、
泣きも喚きも爆笑も号泣もしない。
ただ静かになるしかない。
3.11を前にしたとき、あなたは何も言えなくなったはずだ。
それが本当だ。
posted by おおおかとしひこ at 18:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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