「…」
という表現は、日本文学特有の表現なのだろうか。
外国文学やシナリオを豊富に読んでいないので、
そこまでは分からない。
しかし日本映画では、一本につき必ず何回か、
この瞬間がある。
外人みたいにペラペラと、自分の気持ちを上手くプレゼンすることは、
我々日本人には困難である。
口下手で、言葉を尽くそうにも上手く言えなくて、
何も考えない訳じゃなく、
むしろ水面下で多くのことを考えていて、
まだ言葉になっていない感覚。
整理されて出てきた言葉より、
この言葉になっていない沈黙の時間のほうが、
その人の本質をよりとらえているのではないか。
リアル空間では、ただの物静かか、喋らない地味な人、
でしかない。
しかし映画にはアップがある。
アップで「…」と表現される、
言葉にならない気持ちこそが、
映画でもっとも劇的な瞬間である。
逆に、思わせぶりにしたければ、
随所に「…」を入れるといい。
何かを考えているのだろう、
と勝手に観客が想像し、
何やらレベルの高いものに偽装することが可能だ。
エセ役者ほど、変な間を入れてくる。
(ここまで前ふりしておいて、
ゴルゴ13がセックスするときも「…」とあるのに、
僕は大爆笑するのである)
それを全部取り除いて、ひとつだけ「…」をつくるとしたらどこか、
を検討するといいかも知れない。
それはおそらく、最も感情がふれるところだろう。
人は、感情が本当に振れるとき、
泣きも喚きも爆笑も号泣もしない。
ただ静かになるしかない。
3.11を前にしたとき、あなたは何も言えなくなったはずだ。
それが本当だ。
2015年05月16日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック